昭和27(1952)年にビーナスライン・観光道路開削工事をする際に松沢亜生(つぎお)が調査を行ない、多量の黒曜石の石器と遺物が露出しているのを発見し、はるか3万年を越える以前からの
先土器時代の遺跡が確認されました。
「八島遺跡群」発掘の発端です。現在、10数箇所で先土器時代遺跡が発見されています。全体を総称して「八島遺跡群」といいます。さらに多くの旧石器時代の遺跡が埋もれていると考えられますが、遺跡全体の調査が不十分で、未発見の遺跡も多いので、遺跡分布状態は定かでありません。
雪不知遺跡は八島湿原の北東、物見石(1780m)の上り口で、ミズナラ林の中、谷川が流れる標高1,650mに位置する日本で最高位にある遺跡です。
八島湿原の鎌ヶ池の手前、現在は通行止めにされていますが、そこからは男女倉山(1776m)の山稜に添うように北東に渓流が流れ下っています。男女倉川です。長和町(旧和田村)の男女倉(おめくら)地籍を通り、和田峠から流れ下る和田川と合流し、大門峠から流れ下る大門川と大門で合流し依田川となり、大屋で千曲川に合流します。
現在、男女倉川右岸にある男女倉公民館近くの『黒曜石の水』の湧水が連日盛況です。古代からの流通・生活道が、八島湿原を経由して、男女倉渓谷を下り、和田集落から佐久と上田両方面へ向かう主要道『男女倉越』・『男女倉道』を発展させてきたのです。
諏訪の人々には、急峻な和田峠は、実用性を欠く難路で、むしろ砥川・東俣川渓谷から合倉沢や観音沢を通り八島に出るか、角間川を遡るか、いずれかでしょう。山浦方面の人々は上川から横河川や桧沢川を経て、池のくるみ、強清水、沢渡と登り続けたでしょう。
男女倉山の尾根のピークは霧ヶ峰高原北端の一角にあって、山頂は長和町(旧和田村)に属しています。霧ヶ峰高原の他の山と同様、起伏の少ない穏やかな山容で、ピーク付近だけが急峻でピーク自体は平坦で広いです。山名は北麓の和田峠手前の男女倉地籍の由来と考えられますから、「ゼブラ山」はいただけません。男女倉山の頂上からは眼下に、『男女倉集落』とそれに至る『男女倉渓谷』がのぞけます。
鷲ヶ峯の3つのピークが明らかに分かり、その北隣に独立した比較的高い山があります。以前に登った時、山頂付近一帯がドウダンツツジで覆われていました。いかに冷たい強風に晒されているかが、よく分かりました。背丈が極端に低いのです。この現象は、車山湿原のレンゲツツジと同じです。秋10月の紅葉シーズンが楽しみです。
この山の奥隣に鉄塔が見えます。 その付近に中山道最大の難所・和田峠があります。最大標高1,531mです。今では、大仰な来歴看板が有るばかりの訪れる人もない峠です。何度か登りましたが、人と出会ったことは一度もありません。ただ余りの急峻なのに驚き、江戸末期「和宮」が乗る籠をどうして運び上げ、運び下ろしたか、苦役にかり出される庶民の姿が、この峠でも彷彿され、風の音が悲鳴のように響いてきた記憶があります。
聖山・冠着山・三才山・美ヶ原・鉢伏山・高ボッチ山から霧ヶ峰連峰と続く山岳部は、長野県の中央を分断し筑摩山地(ちくまさんち)と呼ばれています。これを越える事が、古代から課せられる物流の最大の難問でした。
三才山トンネル・新和田トンネルが開通し、一部改善されているとはいえ、依然として残る課題ですが、人々は自らの知恵でルートの開設にベストを尽くしてきました。江戸時代の脇街道の縦横に及ぶ発展が、それを語ってくれます。
和田峠の北隣が三峰山です。美しい円錐形の山容で、以前から憬れ登りたい山の一つです。通常、三峰山は単独の頂きと見られます。扉峠の駐車場からは、そうとしか見えないのです。鷲ヶ峯同様、安易に登ってはいけない事が、男女倉山の山頂からの風景が教えてくれました。まさに3つの峰が見えました。古代から続く山名のすごさが知られます。
『男女倉山』は、絶対にゼブラ山としてはいけません。八ヶ岳の『冷山(つめたやま)』をガイドが『れいざん』と呼び、テレビが、それを報道しました。『冷山』は、和田峠・星ヶ塔・星糞山などと共に、野尻湖周辺の遺跡群同様、この信州の歴史と人類史発祥の地に深く関連します。決して、呼び名の重要性を軽視してはいけません。
男女倉山の山頂にようやくたどり着いたときです。既に6名の「ガイド」とか「監視員」とか記されたワッペンを腕に巻いている人たちがいました。この日は日曜日でしたから、休日返上で活躍していたようです。幾組とすれ違っています。『樺の丘』から『山彦尾根』、『南の耳』、『北の耳』は、霧ヶ峰高原を代表する地域です。その時「監視員」相互で、あの山は何かと尋ねる声がし、一番若い人が、年上を正すように「守屋山(1650m)」ですよというと、「監視員」の方は驚いていました。
それを聴く私も、既に方向感覚が混乱していることを悟りました。男女倉山から南方の御射山の丘の後方に堂々と独立峰として浮かび上がっている「守屋山」の西側に市街地が見えたのです。「監視員」の集うそばに拠り、私自身、あの優容にして不動の姿は「守屋山」でしかないと思いながらも、その疑問を問いかけました。その答えにまた驚きました。あの町並みは辰野町に隣接する箕輪町だそうです。「赤そば」で有名で、2度ばかり出掛けています。
その西方には御嶽山、そのさらなる西方に穂高が望まれました。 男女倉山からの下りも急ですが、アスピーテ火山特有の直ぐになだらかな台地「北の耳」に連なり、実に心地よいルートです。「北の耳」が分岐点で、戻れば八島湿原、右折すれば山彦尾根から車山高原、白樺湖へ通じます。
「北の耳」から延びる稜線の先が『大笹峰』で、鷹山のスキー場をなだらかに下ると、県道155(男女倉長門線)です。そのまま横切れば、黒曜石採掘地の『星糞峠(長門町)』、『虫倉山(1658m)』へ上ります。右折すれば大門街道に通じ、左折すれば男女倉集落から中山道へ出ます。
「北の耳」から「物見石」は指呼の間で、なだらかな高原風景ですから「物見石」から沢渡に出る古道があったでしょう。 |
車山湿原の秋の花の群生
ハハコグサが真っ盛り(夫婦岩)
車山乗越の梅鉢草が美しい
山彦尾根の「南の耳」 北の耳の西方が「姫木平」 男女倉越のオミナエシ 男女倉越から眺める美ヶ原 男女倉越の平坦な山道
男女倉山から見下ろす男女倉集落 男女倉山からの八島湿原全景 8月下旬 ススキの花穂(かすい) |