9月下旬、高原の草木の緑は色あせ、今まで余り目に付かなかったススキの花穂(かすい)が開き、西日を浴びて、車山高原一面、白銀色で覆い尽くします。
白樺湖から吹き上げる高原の山風が、広大に展開する白銀の花穂を揺りざざめかします。
箱根の仙石原も雄大ですが、規模、ボリューム共に、車山から霧ヶ峰に広がるススキの原野の方が勝ります。
また東の蓼科山から、南アルプスと伊那山地、西の三峰山、美ヶ原と望洋される山岳風景は、車山高原、霧ヶ峰高原ならではの景観です。
霧ヶ峰連峰の最高峰・車山の山裾に広がるレンゲツツジとズミの葉が、色彩豊かな紅と朱で色づき始めます。
ススキ(芒、薄)とは、イネ科ススキ属の植物で萱とも尾花ともいわれます。花穂を獣の尾に見立てて、尾花と呼ぶのです。野原に生息するごく普通の多年生草本です。
地下には短いがしっかりした地下茎があり、そこから多数の花茎を立てます。
植物遷移上、ススキ草原は草原としてはほぼ最後の段階と言えます。
ススキは株が大きくなるには時間がかかるので、初期の草原では姿が見られませんが、次第に背が高くなり、全体を覆うようになります。ススキの草原を放置すれば、ミズナラ、アカマツなどの先駆者的な樹木が侵入して、次第に森林限界近くではしばしば純林に近いダケカンバ林となり、森林化へと変化していきます。
特に江戸時代、茅場の場合、草刈りや火入れを定期的に行うことで、ススキ草原の状態を維持していました。
車山高原と霧ヶ峰高原は、諏訪の人々が生きていくための必要不可欠の資源の供給地でした。住居の屋根を葺くための家萱、田畑の肥料としての刈敷、馬の飼料としての厩萱(まやかや)とそれが肥料化する厩肥(うまやごえ)など、大切に保護されてきた天然資源でした。
花穂は黄色ぽいが、種子、正確に言えば穎果(えいか;果皮が薄く木質で、種皮と密着している果実)には白い毛が生えて、穂全体が白っぽくなるので、陽射しを受けると白銀色に輝くのです。この時、初めて車山の住民は秋を知るのです。
種子は高原の風に乗って飛び散ります。 秋の七草の一つで15夜の月見には、ハギとともにススキを飾ることが多いのです。
山上憶良が万葉集にて、『萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花(おみなえし)また藤袴 朝顔の花』と詠んだように秋の七草の一つに数えられています。
このなかの朝顔については、キキョウ、ムクゲ、ヒルガオ、アサガオと意見が分かれていますが、私は桔梗(ききょう)説を採りたいのです。
根拠は桔梗が大好きだからです。また爽やかな朝顔のイメージを思い描いて下さい。
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美しきススキ野の車山高原
めづらしき 君が家なる
花すすき 穂に出づる秋の
過ぐらく惜しも
「万葉集」 |
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車山高原を走るビーナスライン
蓼科から白樺湖の大門峠を過ぎれば、車山高原です。
霧ヶ峰から八島湿原まで、高原一面ススキの花穂で覆われます。 |
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車山高原展望リフト
展望リフトに乗れば、20分位で山頂に登れます。
山頂近くのナナカマド、カエデ、ウルシなど、車山の紅葉を堪能して下さい。 |
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車山高原の遊歩道で山頂へ
車山の山頂までは、徒歩ですと80分位です。
下りは60分、昇りはリフトで、下りは景色を見ながら徒歩で、それがお勧めです。 |
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麦搗き沢からカボッチョ山
霧ヶ峰高原を代表するススキの高原です。
霧ヶ峰の中心です。強清水、蛙原、イモリ沢、麦搗き沢、そして車山高原です。 |
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