諏訪氏高島城と諏訪湖地図

TOP 車山高原へ戻る 諏訪の字源
 諏訪湖の北方・高ボッチは、6月の蓮華つつじなど隠れた諏訪の花の名所です!この高原の標高1,665m、眺望は広がり、東方には富士山と諏訪湖、西方には穂高連峰や北アルプスが広がる圧巻の風景です。朝は神々しい陽を迎え、夕方からは撮影の有名なポインとしてト、夕陽に赤く染まる八ヶ岳と甲斐駒ケ岳の間に聳える茜富士が、諏訪湖に浮かぶ逆さ富士山を映す!!
 帰りは、下諏訪の湖畔から眺めれれる富士山と、上諏訪湖畔の片倉温泉で寛いで下さい。
 「高ボッチ」という名は、1910年(明治43年)に5万分1地形図を作成する際、測量士らが付けたものとされています。由来は、ダイダラボッチが休憩したとの伝承による凹地(窪地)から、山頂が、蓋のつまみ、突起、あるいは帽子など、いずれもボッチ、ポッチ、ボッチョといった異名をもつ形をしていることから。
全国でも有数の規模を誇る花火大会は、夏を彩る諏訪の風物詩。4万発もの花火が夜空と湖上に光の華を咲かせます。全長2,000mにも及ぶ大ナイヤガラ瀑布も諏訪湖ならではの花火です。毎年8月15日に開催。
高島城は別名「浮城」とも呼ばれ、400年ほど前の慶長3年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部高吉」により築城され、その後、諏訪氏の居城として要害堅固を誇ってきました。昭和45年5月に天守閣が復興され、その美しい姿を再び堀の水に映し出します。
 諏訪市 高島城の桜は、例年、4月上旬〜中旬が見頃です。

   信濃なる 衣が埼を きてみれば

           富士の上こぐ    あまの釣舟



   諏訪市 高島城の桜風景
諏訪氏を再興させた諏訪頼忠は、現諏訪駅の北方にある高台・茶臼山に高島城(茶臼山城)を築いて居城としました。徳川家康に属するようになると、頼忠は、平城の金子城(諏訪市中洲)を築き、新しい拠点としました。天正18(1590)年、頼忠が武蔵国奈良梨に転封となり、代わって豊臣大名として日根野高吉が、茶臼山にあった旧高島城に入城する。高吉は、文禄元(1592)年から慶長3(1598)年にかけて、諏訪湖の中に突出している洲の部分を選んで新城を築きます。
日根野高吉は、築城の際、村人には漁業権や賦役免除権などの特権を与える代わりに小和田へ移転させた。高吉は安土城と大阪城の築城に関わったといわれています。織豊系城郭として築城し、石垣を築いて天守も構えました。
慶長6(1601)年、日根野氏は下野国壬生藩に転封となり、譜代大名の諏訪頼水が、関が原の戦いの恩賞として2万7千石で入封しました。再び諏訪氏がこの地の領主となり明治維新まで続くこととなります。大坂の陣の勲功で5千石加増、三代諏訪忠晴が、父の死去により後を継ぐと、弟の諏訪頼蔭と諏訪頼久に合わせて2000石を分与したため、高島藩は3万2000石から3万石となります。
天然記念物に指定されている古木枝垂れ柳が三つに幹を分けて大きく広がり、黒の板塀の内で雲の湧く如くに天に向かい、諏訪湖の風にそよいでいます。
諏訪市 有賀の江音寺枝垂桜も満開でした。
海抜759m、湖周15.9Km、面積13.3kuで、茅野市・岡谷市・下諏訪町に接しています。アヤメ園・ジョギングロー・湖畔公園・石彫公園・間欠泉・ふれあいなぎさなどが整備されて
 諏訪市湖南の有賀城址より諏訪湖と高島城下・諏訪市街地を眺め!前方の山稜は、右から車山・霧ヶ峰・鷲ヶ峰・美ヶ原と連なります。