諏訪市の西山公園、前方の山の背後に、シカが多くいる「後山」があります。
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 1)シカ猟   2)長野県内のニホンジカの動向  3)シカのライトセンサス
 4)シカの全国的な動向  5)シカの捕獲方法  6)長野県のジビエ食肉処理業者
 1)シカ猟
 
 電気柵で守られる霧ヶ峰・車山肩のニッコウキスゲ
 シカは有史以前からもっともポピュラーな「狩猟獣」であり続けてきました。静岡県三島市谷田(やた)の箱根山西麓の丘陵部で初音ヶ原遺跡(はつねがはら)から多くの土坑が出土しています。これまで遺跡全体で総数60個に及び、丘陵地に弧状をなし分布しています。土抗は24,500年前の姶良・丹沢火山灰に覆われていますので、旧石器時代に掘られたことは明らかです。土坑と土坑の間に垣根を巡らし、シカ・イノシシなどを追い込んで、落下させ捕獲する落とし穴遺構と考えられています。
 縄文時代の遺跡から出土する陸上動物骨の95%がシカ・イノシシで、各地の縄文遺跡からはその骨片が主要な動物遺体として出土します。クマなどは少ないのです。シカは重要な動物性タンパク源であっただけでなく、毛皮は衣類として、角や骨は釣針や矢尻の材料として利用されます。人類にとって重要な資源であり続け、時代を経るに従って重要性さが低下しても、その位置は現在まで保たれています。
 農業生産が拡大しても、山間地などでは冬季の食料として盛んに狩猟されました。シカの蹄は小さいため、特に雪に弱く、越冬地は格好の猟場となります。豪雪のときなどに猟師はシカを追い込み、簡単な猟具で大量に捕獲したようです。高い狩猟圧は東北や北海道などで、地域的な絶滅を引き起こすこともあり、この状況は江戸期末まで続きます。
 一方、縄文時代には畑作が始まり、既にシカやイノシシは農作物を荒らす害獣でもありました。臆病で警戒心は強いが、危険がないとわかると大胆に農地に入って来ます。成獣は1.5m以上の高さを飛ぶことができますが、柵を飛び越すよりも柵の下へもぐりこんで侵入することが多いです。
 農業生産の拡大に伴って人と獣とのせめぎ合いが始まったとも言えます。江戸時代の前期、17世紀初めから18世紀初めにかけて、耕作地の拡大が進み、日本の人口は約2倍に増加しました。その結果、シカやイノシシなどの野生動物との軋轢は著しく増大し、江戸の中期には農作物を守るためのシシ垣が全国各地で大規模に建設され、また農民の鉄砲の保持は武士のそれを上回っていました。それでも江戸期中期、青森県東南部にあった八戸藩では凶作に加えてイノシシとシカの被害が重なり飢饉になりました。里山に囲まれた農村では日常的に野生動物の被害に直面していました。
 次第に本州以南では、江戸期中期から末期にかけてシカやイノシシなどの大型獣は、平野部から姿を消しています。 明治11(1878)年、北海道ではエゾシカ猟の一部規制が始まります。明治23(1890)年には、全面禁猟年となります。全国的には明治25(1892)年、「狩猟規則」制定とともに1歳以下のシカの捕獲禁止措置がとられます。しかし明治34(1901)年、「狩猟法」の改正を受けてシカの禁猟が解除され、大正7(1918)年には、「狩猟法」の改正にともない狩猟獣に指定されます。
 2)長野県内のニホンジカの動向
 
奥多摩町では、キハダ、ミズナラ、ミズメ、カツラが全滅状態です。
 昭和52(1977)年頃には、長野県のニホンジカ(Cervus nippon)は、南アルプス・関東山地・八ヶ岳・美ヶ原周辺と生息圏は限られていました。明治中期には、県北部にも生息していましたが、当時、既に県北部には分布していませんでした。昭和52年、諏訪地方で最も大きな生息圏は、八ヶ岳圏内でした。次いで岡谷市の横河川と和田峠の砥川の両流域でした。
 昭和52年頃では、依然として鹿のみならず毛皮の需要が旺盛で、その狩猟圧と別荘および観光開発が重なり、シカの生存圏が著しく脅かされていきます。諏訪地方では、ゴルフ場やスキー場開発も活発化し、シカの種の存続さえ危ぶまれていました。>
 戦後「狩猟法」が「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」に改正されるにともなって、シカの取り扱いも変更されました。即ち、昭和23(1948)年にメスジカが狩猟獣から除外されました。それでも生息数は各地で減少が甚だしく、北海道、岩手、宮城、長野、神奈川、広島、山口県などでは全面的な捕獲禁止の措置がとられ続けられたのです。
 保護政策の結果、生息数は1970年代に入るとようやく回復しつつあったようですが、この時代の分布域はカモシカに比べて狭く、被害はごく一部の地域に限られていました。昭和53(1978)年以降、環境庁はオスジカの捕獲数を1日1頭に制限し、さらに保護につとめています。保護政策は、暖冬の継続などの影響も加わり、次第に効果を発揮します。昭和55(1980)年代以降、各地で個体数が増加し、農林業被害や自然植生への影響が深刻化していったのです。
 シカの環境適応力は抜群で、生息地は、緑広葉樹林・落葉広葉樹林・寒帯草原など多様です。森林から完全に離れて生活することはなく、クヌギ・コナラ林やアカマツ林、スギ・ヒノキ造林地や里山など、明るい開けた森林を好みます。林内よりも、餌となる植物が多いため、林縁、伐採跡地、造林地などが、格好な餌場となります。
 常緑広葉樹林に生息するキュウシュウジカなどは食性の季節的変化は少なく、1年を通じて木の葉を採食します。落葉広葉樹林に生息するエゾジカやホンシュウジカは、イネ科草本、木の葉、堅果、ササ類などを季節に応じて採食します。有毒な物質を含むワラビやキンポゲ科草本、アセビやシキミなど、わずかなものを除き、ほとんどの植物を食べることができます。特にササ類は、車山・霧ヶ峰・八島ヶ原などの積雪地域の冬の主要な食物です。諏訪地域の積雪地の個体群は雪を避け小規模な季節的移動を行います。
阿寒湖畔と並ぶ道内でも有数なシカの越冬地である白糠郡白糠町(しらぬかちょう)北部で越冬するシカは、春になって雪が融けると釧路総合振興局管内を中心とした広い範囲に散らばっていきます。遥か根室海峡よりの野付郡別海(べつかい)やオホーツク総合振興局管内の常呂郡訓子府(ところぐん・くんねっぷ)などへ移動する個体もいて、移動距離の最高記録はなんと直線距離で102kmだったとあります。その移動先で夏を過ごし、冬になると再び白糠の越冬地へと戻ってきます。
 長野県でもシカの生息分布は、南アルプスや伊那山地(守屋山〜戸倉山)から天竜川を越えて中央アルプスへ、美ヶ原や八ヶ岳北部から犀川を越え、長野市北部へ、関東山地では千曲川に沿って北側の浅間山へ生息分布が拡大しています。また、ここ数年では、南部では中央アルプスを越えて木曽郡木祖村、南木曽町へ、北部では長野市西部(旧戸隠村、旧鬼無里村)、中条村へ、東部の浅間山から真田町へ生息分布の拡大がみられ、シカが苦手としてきた豪雪地域の小谷村、栄村などでもシカの生息が確認されるようになります。
 このため環境庁は平成4(1992)年に最初の「管理マニュアル」を作成し、平成6(1994)年、鳥獣法第1条ノ5第3項の規定に基づく環境庁長官告示で、狩猟鳥獣の指定が種レベルになったことに伴いメスジカも狩猟鳥獣化し、同時にシカによる被害が甚大な北海道・岩手県・兵庫県及び長崎県を除きメスジカの狩猟を禁止しました。これには条件付きでメスジカの狩猟を可能とする措置がとられたのです。それまで狩猟獣に指定されていた「オスジカ」の他に、「メスジカ」を狩猟獣に加える一方、環境庁長官の告示で全国のメスジカを捕獲禁止としたのです。その上でシカの保護管理計画を策定した都道府県に限ってこのメスジカ捕獲禁止措置を解除する、つまり計画的・科学的な保護管理を条件にメスジカ狩猟を認める苦肉の策です。
 平成10(1998)年、シカを含む毛皮獣の狩猟期間短縮措置を廃止するとともに、北海道では捕獲数制限を1日1頭から2頭に変更しました。その甘い対応が被害は拡大させ、抜本的な保護管理の見直しが求められるようになったのです。
 平成12(2000)年、鳥獣法の改正により特定鳥獣保護管理計画制度を創設、これに伴い環境庁長官告示により改めて全国にわたってメスジカの捕獲を禁止した上で、都道府県知事が特定鳥獣保護管理計画を作成することによりメスジカの狩猟禁止措置の解除(可猟化)が可能となるよう措置がとられました。平成14(2002)年には「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」として、条文が片仮名書きの文語から現代文へ改められました。平成18(2006)年には再度の改正により、休猟区であってもシカ・イノシシなどの狩猟が可能となる「特例休猟区制度」の創設や、「網・わな猟免許」が、「網猟免許」と「わな猟免許」に分割され、その狩猟者登録の際に納める狩猟税の税額が、ほぼ半額に改正されました。それが現在に至っています。この年の改正は、シカ・イノシシの捕獲圧を高めること、及び自衛目的の捕獲のために狩猟免許を取得しやすくするという効果が期待されたのです。
 以上の経過から明らかなように、環境庁、平成13(2,001)年に改組した環境省の施策は、ニホンジカの繁殖力を甘く見て、総て後手に回っていました。
 3)シカのライトセンサス  
 シカに食害される車山高原のオオバギボウシ
 南アルプス地域では、区画法による生息密度調査を行うスポットライトセンサスにより、シカの生息密度が高まっていることが明らかになりました。林業総合センターで実施している塩尻市東山山麓のスポットライトセンサス調査でも、春の3.4月に確認される個体数が年々増加してきている傾向が確認されています。
 一方、長野県内のシカによる農林被害は、全国各地と同様に増加し、平成15(2003)年度には農林業被害の総額は4億9,000万円余りに達しています。イネ・飼料作物・野菜を中心に、ムギ・マメ類・果樹に被害が及び、中でも、ヒノキ・スギをはじめ多くの造林木に枝葉摂食と樹幹剥皮の食害を与えます。更に自然林における樹木の剥皮や希少植物の摂食など、自然植生への過度の影響が観光資源を著しく破壊しています。天然性立木の剥皮・実生の稚・幼木の採食など林業被害は、シカの生息密度が高い本県南部の下伊那、上伊那地域を中心に、約3億9,000万円に達しています。
 シカによる被害は、以前問題となったカモシカによる被害以上です。カモシカは、U齢級以下の針葉樹幼齢樹の枝葉摂食に限られるのに対し、シカは造林木の枝葉食害のみならず、稚木・幼木の採食から壮齢木で行われる角こすりや樹皮食害により樹幹の腐朽、立枯れが発生し、なによりも製品価値を著しく減じます。やがて林床植生の食害による稀少草本類の消失と土壌の流出が現実問題となる危険性が高まります。
 ライトセンサスの調査方法の一例では、まず運転手・観察者・記録者などが車に乗り込み実施します。調査対象地域(ユニット)ごとに、シカが頻繁に出没する農耕地・牧草地や森林に、それぞれ10q程の調査ルートを設定し、原則として毎年同じルートで調査を実施しています。
 調査を開始する前に、あらかじめ開始地点・調査ルート・終了地点を記入した縮尺5万分の1の調査ルート地図を用意します。日没後に、ルートに沿って車を時速10〜20qで低速走行し、同時に道の両側にスポットライトを照らしてシカの数をカウントします。その場合は、確認時の走行距離・時刻・年齢とオスメスの区分別や観察頭数などを調査票に記入します。
 この調査は、シカの適正な保護管理を進めていくための基礎的資料として必要不可欠な生息動向を地域別に把握することを目的としています。
 長野日報の2,012年5月10日『諏訪、茅野、下諏訪の3市町にまたがる霧ケ峰で、県環境保全研究所と県霧ケ峰自然保護センターは8日夜、ニホンジカの出現状況調査(ライトセンサス)を始めた。ライトを照らしながら、八島ケ原湿原や車山湿原周辺などの登山道を歩き、光る鹿の目から数を調べた結果、約2時間で168頭を見つけた。登山道沿いでの調査としては過去最高値で、八島湿原の東側に広がる牧草地は「鈴なり」状態だった。   調査は2,004年から春と秋に実施。道路沿いで行ってきたが、春の調査については昨年から、八島湿原の外周を囲んだ防護柵の影響をとらえる目的で登山道沿いに切り替えている。
  同センターを拠点に活動する霧ケ峰パークボランティアを含む8人が参加し、三つの調査ルートを往復した。総数のうち158頭は、沢渡〜八島湿原の道沿いで発見。約半数は防護柵外側の牧草地で確認し、好んで利用していることをうかがわせた。「街のネオンに見える程の数」「(シカ牧場と化した)第二の美ケ原になってしまう」と懸念の声も上がった。>
  八島湿原では外周約4キロを柵で囲んだ後、3頭の侵入が確認されているが、この日は柵内(湿原内)で3頭を見つけた。「限られた時間とルートでの発見数。湿原にはもっと多くの個体が入っている可能性がある」という。
  車山湿原沿いの登山道では10頭を確認。車山肩〜ゴマ石山のルートはゼロだった。自然保護センター付近から八島湿原に向かうビーナスライン道路の右手尾根にかかる所が留塚(1700m)、そこから更に右の尾根がゴマ石山(1,756m)。
  昨春は5回行い、1回の発見数は102〜34頭だったという。同研究所の岸元良輔・自然環境部長は、八島周辺について「昨年も牧草地に集まっていたが、ここまでの数ではなかった。端から端まで鹿が連なり、これまでと違う印象を受けた」と説明。「きょうの結果だけで傾向はつかめないが、一段と生息密度が高まった可能性はある」との見方を示した。
  調査は昨春と同様、7月まで計5回予定している。」とネット上で報じています。 2,010年長野県環境保全研究所研究報告では、「霧ヶ峰においてニホンジカCervus nippon による草原や湿原の植生への採食影響が懸念されることから、個体数変動をモニタリングするために2004 〜 2009 年に道路沿い(延べ26km) 及び八島ヶ原湿原でライトセンサス調査を行った。延べ58 日の調査で、道路沿いでは、2,006 年までの3 年間は平均発見頭数が20頭前後で安定していたが、2,007 年春から増加する傾向がみられ、2,009 年秋には約3 倍の65.0 頭になった。これは、2,007 年より1 日の平均発見回数が増えたこと、及び2,009 年より1 回の平均発見頭数すなわち群れサイズが大きくなったことが要因である。八島ヶ原湿原でも58 日の調査のうち少なくとも33 日で1 〜 23 頭の入り込みが確認された。これらのことから、霧ヶ峰ではニホンジカの生息密度が高くなり、個体数が増えていると考えられる。」 また「南アルプスでは亜高山帯から高山帯にかけての自然植生に大きな影響が出ていることが報告されている。八ヶ岳中信高原国定公園に位置する霧ヶ峰でも、1,990 年代よりシカの姿が目立つようになり、2,004年以降の調査で広い範囲に分布していることが確認されている。霧ヶ峰は、広大な草原や貴重な高層湿原を有する特徴的な自然景観をもつ、草原は戦後数年までは採草地や牧場として管理されたが、現在は観光資源として利用されている。しかし、シカの増加により、霧ヶ峰の自然を特徴づけ観光資源としても価値が高いニッコウキスゲの群落や高層湿原への影響が懸念されている。このため、シカの生息動向をモニタリングし、対策のための基礎資料を提供することを目的に、ライトセンサス調査を行った。
 ライトセンサス調査は、絶対的な個体数を把握する方法ではないが、北海道のシカの調査で、地域間や年度間の密度変化を把握するためはに簡便で有効な方法とされている。長野県では、塩尻市東山地域で、この方法による調査が試みられており、調査を開始した2,003 年から2,008 年にかけて、やはり増加傾向が認められている。」 「霧ヶ峰でも相対的な密度の年変動を把握するために、2,004〜2,005年にライトセンサス調査を行った。その後も同様の調査を継続したので、今回はその結果を合わせて報告する。
 ライトセンサス調査は、道路沿い及び八島ヶ原湿原で行った。道路沿いにおける調査では、車を低速(時速10〜 20km)で走らせながら、手持ちのスポットライトにより車の両側を照射し、シカの光る目を探す方法で行った。見通しのよい環境では、200m 程度の距離でも発見することができた。発見後は双眼鏡を用いて頭数を数えるとともに、可能な限り角または角座を確認することにより、 性別判定を行った。 走行ルートは、白樺湖大門峠から諏訪市営霧ヶ峰キャンプ場までの東西約16km、 及び踊場湿原から八島ヶ原湿原までの南北約10km とした。調査は、2,004 年10 月28 日から2,009 年12 月1 日の期間中に、毎年、春(4 月中旬〜 7 月初旬)及び秋(10月下旬〜 12 月1 日) にそれぞれ4 〜 8 日行った。延べ調査日数は58 日であった。原則として、 車台で東西と南北のルートを分担し、1 台の観察員は運転手の他に両側を照射するために2 名以上とした。調査は、日没後30分〜 1時間で開始し、1日の延べ走行時間は2時間30分〜 3時間程度であった。 八島ヶ原湿原における調査は、車による南北ルートの調査後に、18:35 〜 21:05 の間の20分程度行った。湿原の西端からスポットライトを照射し、双眼鏡を使用してシカの光る目を探した。これにより、照射地点から500m 程度の範囲のシカを発見することができた。湿原では,観察者からシカまでの距離が遠いため、ほとんど性別判定はできなかった。」
 「道路沿いのライトセンサスでは、2,004〜2,005年の調査と同様に、それ以後の調査でもシカは広い範囲で発見された。2,004〜2,009年の調査期間中、1 日の調査でシカに平均10.4 回出会い、1 回の出会いで平均2.9 ± 2.8 頭が数えられた。1日の発見頭数は平均30.4 ± 20.4 頭であった。調査期間中に発見した1,765 頭のうち、992 頭は性別判定ができた。このうち、120 頭(13.0%) がオスで、性比はメスに偏っていた。ただし、春に性別判定された334 頭のうち27頭(8.1%)がオスであったのに対し、秋は558 頭のうち93 頭(15.8%)がオスであり、秋にオスが増える傾向にあった。1日の平均出会い回数の経年変化をみると、2,004〜2,006年は5.9 〜 8.0 回であったが、2,007年春から急増し、2,009年秋まではほぼ2 倍の12.6〜16.5 回になった。 1回の出会いにおける平均発見頭数は、2,004年秋から2,009年春までは2.3〜3.2 頭の間を推移したが,2,009年秋は4.4 頭に増加した。1日の平均発見頭数は、2,004〜2,006年は20 頭前後で安定していたが、2,007年春から増える傾向がみられ、2,008年と2,009年の春は一時的に下がるものの、2009 年秋にかけて調査開始当初の約3倍の増加がみられた。特に最大発見頭数は、2,007年春から2,009年秋にかけて急増した。八島ヶ原湿原では、霧などの気象条件によって発見率が大きく左右されるため、経年変化などはわからなかったが、調査日数58 日のうち少なくとも32日でシカが入り込んでいることが確認された。入り込みが確認された日のシカの発見頭数は平均9.5±5.5 頭であった。」
   「長野県においてシカの保護管理を行ううえで、ライトセンサス調査は、簡便にシカの生息密度の動向を把握できる方法として利用できるだろう。ただし、課題も多く、特にシカまでの距離によって、目視によるシカの見落とし率の違いが指摘されている。 このため,調査結果が調査地の環境条件に影響されると考えられる。開けた環境が多い北海道では、地域間の比較にも有効とされているが、長野県では森林など見通しの悪い環境も多く、例えば草原的な環境が多い霧ヶ峰と他の地域との比較は難しいと考えられる。しかし、誰にでもできる方法であり、一定の地域における年度間の比較には有効な方法であろう。例えば,捕獲によってシカの数を減らすことができたかどうかを、行政職員自らが測定することが可能と考えられる。
 霧ヶ峰においても、今後の対策を検討するうえで、シカの生息動向を把握することは不可欠であり、今後ともライトセンサス調査によるモニタリングを継続する予定である。」と詳細です。
 4)シカの全国的な動向
 
 車山高原の早春では、若木の食害が目立ちます。
 以上の経緯は、法的な取り扱いがシカ個体群の動向に大きく影響し、特に狩猟や捕獲の制限緩和は乱獲につながりやすく、個体群は急速に減少させ、時には地域的絶滅に陥入ります。その反面、保護の徹底や捕獲圧の低下は、個体数の著しい増加や分布域の拡大をもたらします。個体群の動向を的確に把握し、迅速に対応することがいかに大切であるかを示しています。
 環境省による調査結果を見ると、直近の四半世紀の間に、シカの分布域は全国的に驚異的な勢いで拡大しています。北海道では昭和53(1978)年時点では道の東部に限られていた分布域が、平成15(2003)年には道南と札幌周辺を除く全域で拡大しています。北海道東部の釧路湿原では、中央部の大島川周辺の植生調査区域内でエゾシカのヌタ場の位置と大きさの計測を行っています。その結果、調査範囲62.2ha内のシカ道の総延長は、昭和52(1977)年に53.6kmだったものが2004 年には127.4kmとなり、約2.4倍に伸び、ヌタ場は、以前には確認されなかったが、2009年の現地調査では大島川の河辺に11ヶ所、合計面積759m2と測定されました。大島川周辺では30年間でエゾシカが急増し、中でも2004年以降の5年間でシカの密度が著しく高まりました。大島川周辺には既存のヨシ・イワノガリヤスやヤラメスゲ群落が分布していますが、河辺のヌタ場付近にはエゾジカの不嗜好性植物のヤナギタデ群落が突然出現し、エゾシカの採食、踏圧、泥浴びなどの影響で、ヨシ・ヤラメスゲ群落が退行して遷移したとみられています。ヤナギタデは北海道から南西諸島に分布し、北半球に広く分布する1年草で、双葉の頃から辛く、川魚などの香辛料として使われてきました。
2010年12月27日、朝日新聞は「北海道でエゾシカが農作物や高山植物を食い荒らしている。農林業の被害は年に50億円を超えて過去最高となり、世界自然遺産の知床半島や釧路湿原でも容赦ない。畑や鉄道などに近づけないように整備した柵は延べ4千キロと、北海道と九州を往復する距離に相当する。駆除しても駆除しても増えるエゾシカは今や道内に64万頭。これ以上の頭数増加を食い止めるため、闘いは正念場を迎えている」と報じています。
 北海道新聞は2012年3月14日、環境省などの協力をえて、釧路湿原全域にわたる本社ヘリによるエゾシカと特別天然記念物タンチョウの生息状況を調査しました。タンチョウがいる川のそばにシカの群れも見られ、「シカの道」が湿原全域に巡らされていました。釧路湿原北東部を中心に158頭が目視され、シカの増加が湿原植物の植生やタンチョウの営巣環境に影響が及んでいるとみられています。
 また本州以南でも、ほぼすべての地域で1970年代の分布域の周辺部にまで拡大しています。分布拡大は耕作地の多い人間の生活空間へ向かうと共に、暖冬化により北陸・新潟・福島・長野北部など、生息が絶えていた多雪地帯や高標高への進出も著しいのです。
 また島嶼では五島列島での拡大が顕著です。五島列島の過年度及び平成21年度の調査結果より、平成21 年度調査結果では、男女群(だんじょぐんとう)島を除く五島列島全体で8,255 頭と推測されています。平成13 年度と比較し五島市では約560 頭減少していますが、新上五島町では約1,200 頭の増加し、その結果、新上五島町では五島市の10 倍強に達しています。五島列島の北に位置する南北6km東西1.6kmの野崎島の野首地区に自然学塾村という廃校を再利用した自然体験型宿泊施設がありますが、それを管理されている西本さんご一家以外は無人です。1970年頃、過疎化が進み、やがて離島し畑が放棄され、鹿を駆除する人もいなくなり、畑にススキなどが優占してシカの格好の餌場になりました。住民という天敵がいなくなり、一時には700〜900頭のキュウシュウジカが生息したぐらいです。その自らの食害により次第に限界域を引下げ、結果淘汰され、400頭前後と減少しました。狭隘な島ですから更に厳しい事態を迎えそうです。鹿が食せる植物は、レモンエゴマ・ダンドボロギク・タマサンゴなどの忌避植物以外ほとんど食べ尽くされ、山林の木の根元は裸地化が進み侵食が激しく、その保水力の低下により海岸べりの植物が滅失し、土壌の海側への流出が深刻化しています。
 シカの増加率は東北、中部、四国の各地方で特に高く、いずれの地域でも分布域の拡大と個体数の増加とその密度が上昇しています。

 昭和55(1980)年頃までは、シカによる農業被害はほとんど問題になりませんでした。その後シカが急激に増加し、近年はほぼ3万ha台、金額にして40億円前後に達しています。これはイノシシの倍以上であり、獣類の中で最も多く、地域的には北海道の被害が全体の過半数を占めています。林業被害でも、最近では数千haと高い水準にあり、獣害の中では最も甚大で、算定される被害額も多大です。
 シカの生息域の拡大や個体数の増加は自然公園地域にも当然及びます。生態系の攪乱や高山植物群落に壊滅的な打撃となり、観光資源が崩壊しています。知床国立公園では、昭和45(1970」年代にシカが阿寒方面より進入し、以後、1980年代より生息数が急増、冬季、標高300m以下の場所で越冬します。2003年3月、環境省が実施したヘリコプターによる調査では、高茎草本群落が激変的消失し、知床岬では最大600頭生息、半島全体では数千頭生息と推定されています。ニレ科のハルニレ・オヒョウなどが樹皮剥ぎのために枯死し、原生林的植生が退行しつつあります。阿寒国立公園でも1980年代半ばから、シカが急増し樹皮や幼樹を食べる食害が、瞬く間に広がり、既に1992年〜1996年までの5年間だけでも、ニレ科の7割以上、約96,000本が食害にあっています。

 阿寒国立公園は、昭和9(1934)年、大雪山国立公園、日光国立公園、中部山岳国立公園、阿蘇国立公園(現・阿蘇くじゅう国立公園)とともに指定された北海道で最も歴史のある国立公園です。国立公園に指定された当時、北海道では、森林は牧場や軍用材の供給地であり、炭・薪材の伐採など旺盛な需要が重なり荒廃していました。
 その後、半世紀かけて復元してきた森が、シカの食害で再生不能になろうとしています。
  日光国立公園では、「環境省は、昭和60(1985)年代以降に奥日光でニホンジカの生息数が増加したことにより、戦場ヶ原へのシカの侵入とそれによる湿原植生の破壊が危惧されたことから、湿原を中心に、周辺の森林植生などを、一体的に保全する防鹿柵を土地所有者である日光森林管理署と日光二荒山神社の協力のもと設置しました。」「平成13年12月に柵を設置した後も、柵内において侵入または出生した多数のシカが目撃されていたため、平成17年度の戦場ヶ原シカ侵入防止柵モニタリング検討会において、柵内に生息するシカの捕獲が決定されました。現在(平成24年)では、栃木県、日光市および日光地区猟友会の協力のもと実施される捕獲と侵入防止対策の強化により、柵内のシカ生息数は低密度に推移しています。」
  栃木県内のシカによる被害が問題化したのは、昭和60(1,985)年代に入る頃です。増えすぎたシカによるウラジロモミやミズナラなど、冬期の樹皮剥ぎが激しく日光の自然植生が大きく変わり、奥日光の千手ヶ原のササが殆ど枯死し、日光白根山の高山植物であるシラネアオイやニッコウキスゲ、奥日光の小田代ヶ原(おだしろがはら)のカガノアザミ(加賀野薊)が絶滅の危機に瀕しています。シカの絶え間ない採食により植物の群落の構造や組成を変え、元々少なかった、シナンコトキシンなどを含む有毒のイケマや、毒性があるといわれるキク科のマルバダケブキとキオンなどが増えています。
 尾瀬には元来シカは生息していませんでした。その尾瀬ヶ原でも、1990年代半ばから生息が確認され、2,009年ごろから採食が拡大し、最近ではダケカンバやムシカリが相当数食害され、春から夏にかけてはヌマガサやスゲ類に食痕が数多く目視されています。湿原の植物群落への影響が広がっています。
 尾瀬国立公園の入山口の一つ、片品村戸倉の大清水口にある大清水湿原では、深刻化しているシカの食害により2013年の今シーズン、ミズバショウが見られない異変が起きています。また、自然林への影響も深刻で、日光周辺ではミズナラやモミ、大台が原ではトウヒが剥皮され立ち枯れが進行しています。 屋久島では、シカの多い場所で優先する下層植生の多くは、不嗜好性植物または着生植物です。ヤクスギやアザミは全国でも特異なほどトゲトゲしくなり、防衛力のない夏緑樹は高木や岩場に着生してものだけが難を逃れています。不嗜好性であったオオタニワタリやヒトツバ・ノキシノブなどの着生シダでも、地上に落ちると速やかに採餌されています。
 ニホンジカの驚異的な適応化や順応化は、一世代でも可能のようで、その観察結果が研究発表されています。不嗜好植物の毒を無毒化し、かつて低栄養であったものを栄養価化する個体が、既に存在しているようです。林床の下層植生が衰微したか、見通しのよい景観が各所にみられ、植生があっても不嗜好植物が優占していたりしています。
 元々オオカミが生息していない屋久島でありながら、シカの採食により屋久島固有の植物種のいくつかが絶滅の危機に瀕しています。 このように自然公園地域での生態系に対する影響は、北は知床半島から南は屋久島まで、シカの生息する国立公園のほとんどの地域で発生し、益々激化しています。 長野県でも美ヶ原高原全体が、シカによる食害で危機的状況になっています。元々美ヶ原周辺は、シカが絶滅危惧種とされていた時代であっても、依然と保たれて来た生息圏でした。諏訪の北部地域の横河川流域と砥川流域の標高1,100〜1,600mあたりのカラマツや広葉樹の樹林帯を生息圏とするシカは、美ヶ原から流入した群とみられています。 美ヶ原高では高山植物の花が根こそぎ食べられているため、観光客が訪れる直前にはシカが残らず花を食べ尽くします。花の観賞を目的にする観光ができず、撮影のために、僅かに残る花や花に群がっていた蝶を求めて、立ち入り禁止区域に侵入し、それが更に自然を破壊する二次被害を生じさせます。
 
 2013年4月28日、山焼きで焼損した池のくるみ・踊場湿原、シカのみならずノビタキ・ウグイス・カワセミの生息地でした
 長野県の車山高原でも、シカ対策として電気柵を設置しています。車山高原では、殆どのニッコウキスゲがシカの食害に遭い、電気柵が設置されていない殆どの地域で絶滅状態となっています。被害は四季折々の春のフキノトウから、夏のニッコウキスゲ、秋のマツムシソウにまで及んでいます。車山観光協会では、高原の草原性植生や観光資源としての景観の保全に鹿食害対策が必要と判断し、長野県や茅野市、諏訪市の小和田牧野農協などの協力を得て、大規模に電気柵を設置しました。参加者は高さ約1.8mの支柱に電線4本を平行に取り付け設置、それぞれの区画を囲みます。電気柵にはソーラーバッテリーで供給される電気を24時間流し、鹿の侵入を防ぎます。
 環境省は「東京奥多摩では水源林のコメツガ、シラビソなどが剥皮され、森林の退行や涵養機能低下が危惧されている。同様の問題は神奈川県丹沢でもみられ、治山問題となっている。これらはいわゆる社会・経済的な被害問題ではないが、森林生態系やその公益的機能の維持というあらたな問題に発展している」と報告しています。 シカの保護管理におけるもっとも大きな柱は、捕獲数のコントロールです。その後平成11(1999)年の鳥獣保護法改正に伴い特定計画制度が創設され、特定計画を策定した場合にメスジカの狩猟が可能となりました。そして平成19(2007)年には「オスジカ」、「メスジカ」と別々に狩猟獣指定されていたものを「シカ」に統合され、環境大臣によるメスジカの捕獲禁止措置が廃止されたため、特定計画を策定しなくともメスジカ狩猟ができるようになりました。 第10次鳥獣保護事業計画に合わせた平成19(2007)年4月〜 平成24(2012)年3月にかかるシカの特定計画を策定しているところは、平成21(2009)年3月時点で34都道府県にのぼっています。このうち9道府県は、特定計画制度が創設される前からメスジカ狩猟を含む保護管理計画を策定しており、またほとんどの都道府県の計画は2期目以上となっています。長いところでは10年以上、多くの府県でもすでに数年間にわたる取組が行われていました。
 新計画以前の取組結果に対する評価は、これらの地域でも、個体数に関して当初の目標が概ね達成されたところはなく、減少はまだ一部地域と限定的で、むしろ新たな場所が高密度になり、分布圏が拡大した、といった状況です。全体として生息頭数の顕著な減少は認められず、個体群の増加を抑えているという点は成果といえるが、シカ個体数を抑制するという目標からはほど遠く、被害や生息密度が依然として上昇しているとしたところが数県あります。 現在利用されている主な個体数推定手法である区画法・糞粒法・航空機調査では、ほとんどの場合、生息密度・生息数を過小に評価していることが明らかとなっています。そのため捕獲数が目標数を上回っても個体数が減らない状況や、想定外の分布域拡大によって、目標が達成できないケースなどが各地で生じ、これらの問題への対処が必要となっています。
 5)シカの捕獲方法
 車山高原のズミの無残な食害、小枝まで食べられています。
 海外の事例でも明らかように、夜間狩猟の効果が高いようです。シャープシュティングに際しても、小型ライフル銃の性能が高まり、より迅速に銃殺が可能となります。
 銃による狩猟が許可されているのは、日の出から日の入りまでの昼間です。夜間の銃による狩猟を禁じているなど、明らかに現状に合わない規制をしているのが『鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律』略して『鳥獣保護法』です。その管轄は環境省にあります。ということは、暴力犯を対象にする『銃刀法』の改正をしなくとも、国会で環境省所管の『鳥獣保護法』を改正すれば、後法優先の原則により夜間の銃による狩猟と小型ライフル銃の条件的使用が可能になります。海外の数々の事例でも明らかのように、夜間狩猟の効果が高いようです。シャープシュティングに際しても、小型ライフル銃の性能が高まり、より迅速且つ効率的に銃殺ができます。
 環境省釧路自然環境事務所は知床のエゾシカ対策として、鳥獣保護法で禁止されている銃器を使った夜間の駆除も行えるよう、漸く検討段階に入ったようです。2,011年10月に、特例的に根室管内羅臼町で実験を行う方針でした。結果を踏まえて2,012年度以降に鳥獣保護法など関連法の改正についても検討する方針と言いながら、国会で取り上げられるようすがありません。

 北海道では、平成21年度の狩猟数は56,858頭、許可による捕獲数が35,157頭、合わせて92,015頭です。平成22年度では狩猟、捕獲数が合わせて10万頭を越えるまでの成果を挙げました。それでも、シカによる農林業被害は減少せず、むしろ増加している状況です。
 2012年1月18日、環境省釧路自然環境事務所は、オホーツク管内斜里町と羅臼町で、16.17の両日行ったエゾジカ捕獲の新手法「流し猟式シャープシューティング(ss)」で、射撃手がトラックの荷台からシカを狙い撃ちする様子を公開しました。
 法律の関係で公道からの銃の発砲は許されませんが、警察の許可を得ておこなわれました。この猟式は、公道沿いの複数の箇所に餌をまいてシカをおびき寄せ、射撃手は一人でトラックの荷台から銃で狙い撃ちすます。誘引餌は、シカのみを選択誘引する必要があり、取り扱いが容易でコスト・鮮度・におい・栄養面で優位なアルファルファなどの牧草を刈って干し、直方体に圧縮した飼料・ヘイキューブを採用することが多いようです。特に餌が不足する豪雪期には極めて有効です。銃による狩猟は、単独、あるいは複数人で動物の群れに接近し、射撃する手法や、追い立て役の勢子が群れを誘導し、待ち伏せた射撃手が動物をしとめる等の方法が一般的です。しかしこれらの方法では、生き残ったシカの警戒心が強まり、いわゆるスマートディア化が懸念され、同じ地域でシカを捕獲することが徐々に困難になるといった問題が生じます。
 そのため両日とも多数のシカが集まる箇所は、あえて素通りし、1〜2頭を確実に仕留めるようにします。16日の斜里町幌別から岩尾別間では7頭、17日の羅臼町ルサから相泊では6頭を駆除しました。将来的な課題としては、鳥獣保護法などで禁じられている夜間発砲の解禁や小型ライフルと消音銃の使用認可が挙げられています。
  同年年4月18日、北海道新聞は「世界自然遺産・知床で増え続けるエゾシカ対策として、環境省釧路自然環境事務所は16日、餌でおびき寄せたエゾシカをトラックで移動しながら撃つ新たな捕獲方法「流し猟式シャープシューティング(SS)」で、今冬362頭を捕獲したと発表した。大雪で餌不足に陥ったシカがまき餌に多く集まり、駆除に効果があったとしている」と報じています。
 「シャープシューティング」は、餌でおびき寄せた少数のシカを、単独あるいは複数の射撃手が狙い撃ちし、集団の全頭を駆除するというものです。全頭を駆除することにより、 警戒心の強いスマートディアを作る事を防ぐと同時に、同じ捕獲地点で効率よく捕獲を繰り返せるという利点があります。
 シャープシューティングは、シカの学習能力を逆手にとり、実際の捕獲を行う前に、射撃手が好都合な条件を整え、その環境にシカを慣れるようにし向けるのです。シカが捕獲の際に警戒するものとして、3点が挙げられます。
 1.捕獲場所の環境
 2.ハンター(人間)の存在
 3.銃声です。
 捕獲場所の環境については、弾先の安全が容易に確認できる場所が絶対条件で、餌の設置及び捕獲個体の回収が車横付けで可能な場所、射程がおおむね30m以内である場所、選択したすべての捕獲場所の給仕がおおむね1時間以内に完了することなど諸条件を整えなければなりません。
 捕獲の1ヶ月程度前から餌を撒き、餌場として認識させ、シカの警戒心を弱めます。ハンターの存在については、実際の捕獲時にはシカから人が見えないよう、また射手のブラインドへの進入が車横付けで行える場所などにテント等を設置し、その中に隠れて射撃を行います。このテントの存在に慣れさせるため、強風にさらされない捕獲場所にはあらかじめテントを設置しておきます。
 最もシカが恐れる銃声に関しては、爆音機を使用します。餌を撒く周囲で爆音機が鳴せます。意外にもシカは、2〜3日の短期間で爆音機の音に慣れてしまうのです。
 シカが何時、どの程度集まるのか、また充分に環境に慣れているのかを確認するには、ライトセンサスによる捕獲適地・適期の絞り込みも可能ですが、センサーカメラが有効で、野生動物のモニタリングや生態記録に最適です。カメラの画像を定期的に確認することによって、捕獲場所に現れるシカの行動や、捕獲の適期を把握することができるのです。 シカの出没可能性の高い給餌場を把握することにより、高い確率で狙撃の機会が得られ、巻き狩りと同等以上の捕獲効率を得ることができます。
 シューティングの時間帯に合わせた給餌が可能になり、ブラインドへの馴化と狙撃ポイントが予め用意されており安全性が高くなります。 やがて、シカは付近にハンターの隠れるテントがあっても、気にせず餌を食べるようになります。さらにハンターが発砲しても、爆音機の音に慣れているため、生き残ったシカは直ぐに逃げることはなく、最終的に捕獲場所にいるシカを全滅させることが可能となります。 もちろん現実には、そこまでうまくいかず、餌場にシカが集まりすぎてしまったり、銃声以外の物音に反応して逃げてしまったりと、なかなかうまくはいかないようです。
 富士山国有林における事例では、群れ全頭を捕獲するのが目標のため、最初の4回は3頭以下の群れに限定し、なお周囲に他の群れがいないことを捕獲基準としました。1名ずつ 二手に分かれた射手が車両から銃器によって、餌付けされた全ての個体を捕殺することを目標に射撃し、6回の実施により、73頭を捕獲しています。射撃した群れの内、5割強が群れ全体を捕獲できたようです。 シャープシューティングは、日本全国で試験的に実施され、徐々に技術が確立されてきている状況です。
 6)長野県のジビエ食肉処理及び販売業者
 車山高原では、特にマユミの若木の被害が酷い!
 長野県森林づくり推進課 資料提供 Tel026-235-7273
 保健所の食肉処理業・食肉販売業の営業許可を受けた事業者を掲載いたします。食肉の生産加工・販売の事業者を掲載しております。加工品のみの取扱店舗、食肉生産加工をしていない店舗は、省いています。

@信州ナチュラルフーズ  
  茅野市金沢2149 Tel0266-73-4862 地元の猟師さん達から鹿肉・しし肉を買取り。鹿・猪精肉・鹿・猪肉の加工品の卸売り・直売 加工製品・燻製・ジャーキーフランク・缶詰
A自然育工房「岳」(しぜんはぐくみこうぼう がく)
  下諏訪町東町上949-1 Tel0266-27-9569 下諏訪町と諏訪市の猟友会員、森林所有者、商工関係者ら8人で設立
 捕獲した鹿を買い上げ、解体加工 荷受洗浄室、解体室、処理室、梱包室、販売室の5部屋を設置、飲食店、旅館などのほか、家庭用の販売にも対応
Bみやだマルカジリ工房
  上伊那郡宮田村4745-1 Tel0265-85-2344 2,009年12月、青葉敷地内に県伊那保健福祉事務所の認可を得てジビエ肉の精肉処理施設「みやだまるかじり工房」を設置
C信州ジビエ かとう
  上伊那郡南箕輪村6704 Tel0265-74-6065
D(有)星野屋
  飯田市南信濃和田1080 Tel0260-34-2012 猪や鹿、時には熊などジビエ処理・製造・加工・販売
E(有)肉の鈴木屋
  飯田市南信濃和田1348 Tel0260-34-2222 信州遠山郷で創業以来55年、天然自然の猪肉・鹿肉・熊肉を製造・加工・販売まで一貫して行う
FヘルシーMeat大鹿
  下伊那郡大鹿村大河原2655 Tel0265-39-2275 090-4464-2947
G料理山荘 四季かわのべ
  下伊那郡阿智村駒場1591 Tel0265-43-4340
Hネバーランド(株)
  下伊那郡根羽村4918-1 Tel0265-49-2880
I信州山肉プロジェクト
  上高井郡高山村大字奥山田1421 Tel090-2245-7753
J山河料理」掘割
  下伊那郡阿智村清内路477-1 Tel0265-46-2244
K信州ジビエ かとう
  上伊那郡南箕輪村6704 Tel0265-74-6065

 ジビエは、ハンティングの銃弾によって大きく損傷したり、内臓が飛び散って味が悪くなったりします。日本のハンターには良い食肉を得るためには、獲物の肉や内臓を傷めることなく即死させる「クリーン・キル」というハンティング・マニアルがなく、結果としてジビエは「不味い、臭い」といった悪評の原因となっています。クリーンキルには、狙った獲物の頭部を一発で撃ち抜く銃撃の正確さが問われます。即死せず苦しんで死んだ鹿は体温があがり肉の質が落ちてしまいます。また、内臓を打ち抜いてしまうと肉に臭みが移ってしまうのです。仕止めた後も、速やかな血抜きや解体といった処理を適切に行う必要があります。クリーンキルによって仕留められた鮮度の良い肉は、臭みも無く、非常に美味しく、素晴らしいジビエ料理の素材へと生まれ変わります。
 野生の鳥獣は冬に備えて体に栄養分を蓄えるため、秋がジビエの旬となります。 ジビエは数日かけて熟成させてから調理します。

 2,003年3月に鳥取県で発生した2名のE 型肝炎患者が、いずれも同じ野生イノシシの肝臓を生食後に発症し、70才の方が劇症肝炎で死亡、他の方も重症肝炎となりました。
 兵庫県ではシカ肉を生で食べた4名の方が6〜7週間後にE型肝炎を発症し、加西市立加西病院に入院したといわれています。厚生労働省によれば、いずれの事例もイノシシやシカを、生肉で食べ、更にレバー刺しまで堪能したようです。野生獣に広がる寄生虫や感染症の危険が理解されていないのでしょう。刺身の文化を持つ日本人は生肉を好みますが、馬刺しを含めて非常に危険な選択です。
 米国やカナダのシカ類の間で流行しているシカの脳みそがスポンジ状になってしまう奇病「慢性消耗性疾患(CWD)」は、BSE(狂牛病)や、人がかかるクロイツフェルト・ヤコブ病などと同類の病気です。発症するのは主に成獣で、雄雌に関係なく感染します。異常型プリオンを口にすればシカは、CWDに感染しますが、健康体でも感染個体と一緒にいるだけで発症する水平感染が観察されています。今のところ、世界保健機関は、ヒトに感染したという証拠はないと結論づけています。
 CWDの原因となる異常型プリオン蛋白質は、消毒・滅菌・煮沸くらいでは容易に死滅しません。感染死体の処理や汚染器具などの除染処理で最も確実な方法は、完全焼却しかないようです。

 日常的に注意しなければならないのが、肝蛭症(かんてつしょう)を発症させる肝蛭です。牛や羊などの家畜ばかりでなくシカの胆管にも寄生する大型の吸虫です。人にも寄生します。病状の初期症状は発熱と上腹部不快感、そして上腹部痛と下痢です。やがて黄疸など軽度の症状から中程度の肝機能障害を発症します。胆管癌が疑われる事例もみられます。稀に幼若虫が本来の寄生部位である胆管以外の臓器に侵入することがあります。
 感染経路としては、肝蛭虫卵からメタセルカリアとなり、水辺の野草や水田などから経口感染します。そのため特定河川流域との関連が重要視されます。しかもわが国における肝蛭の主な感染源が、稲わらであることが重大です。稲わらから家畜などにより経口摂取された肝蛭の幼若虫が、広域的な感染源となって拡散しています。
 最近では、中国地方や南九州で牛糞を肥料として利用している小規模畜産農家から相次いで患者が発生しています。予防は、水辺の野草や羊・牛・豚・シカ・イノシシなどの生食を避け、特にレバー刺しは以ての外で、家畜では肝蛭症が発症した牧野の駆虫薬投与が不可欠となっています。
 2,005年と2,006年の両年、奈良公園およびその周辺地域に生息する天然記念物ニホンジカ40頭のシカから排泄された直後に採取した糞内の吸虫卵調査によれば、87.5%の個体から肝蛭卵が検出され、その中でも14頭のシカの剖検(ぼうけん)により、肝蛭の虫体が8頭で見つかっています。病理学的検査によれば、肝臓表面に赤紫の小斑点あるいは蛇行状の病巣などが観察されています。昭和51(1976)年の調査でも、既に奈良公園の肝蛭による汚染が指摘されていました。シカ個体数が約300頭前後に増加した昨今でも、大幅な寄生率の変化がないため、高度な汚染が進行しているとみられます。シカから排泄された肝蛭虫卵はメタセルカリアとなり、人類や家畜へ感染を拡散させています。早急な対策が必要となっています。

 シカ肉は脂肪分が少ない、消化によい赤身肉で、しかも食物アレルギーの原因になりにくい良質なタンパク質です。低コレステロールで高ビタミン、しかも鉄や銅などのミネラルも豊富で、脂質は青魚や植物に似て獣肉で最もヘルシーだそうです。