車山高原 さわやか信州 旅日記 8月
      TOPへ 車山高原日記

 車山高原マツムシソウ(25年8月20日撮影)
 
 盛夏の車山高原
 蓼科高原から美ヶ原まで数々のリゾートエリアを結ぶビーナスライン!特に白樺湖大門峠から車山高原・霧ヶ峰・八島ヶ原・美ヶ原高原のコースは格別なドライブラインです。ビーナスライン沿いの車窓から眺める景色は、殆ど樹木にさえぎられず、蓼科山の八ヶ岳・仙丈岳の南アルプス・木曽駒ケ岳の中央アルプス・穂高連峰の北アルプス・白樺湖や諏訪湖など、山岳風景と湖が遠望できます。ニッコウキスゲ・ヤナギラン・シモツケソウなど高原植物の群落・レンゲツツジの樹叢・美ヶ原高原牧場など変化に富んだ景色が、見事なほど、ゆったりした風景の中にとけこんでいます。
 車山の噴火によって育まれた車山高原の西南麓を特に霧ケ峰高原と呼びます。一帯に広がる草原台地は、初夏より一段と濃淡を極めた万緑のキャンバスとなり、色とりどりの高山植物の群落が、時季折々、塗り替えていきます。
 車山高原のニッコウキスゲの見頃は7月中旬~下旬です。

            盛夏!車山高原に咲く花々
 
2015年 8月の車山高原日記

 
長寿更科の「冷やしおろしそば」
信州八ヶ岳の西麓にあたる
 高原の
湯川 芹ケ沢 湖東は 
味わい深く 甘みのある 蕎麦どころ

八ヶ岳や車山から 
 流下する水は 冷涼で
その湧水で 打った蕎麦は
 芳醇な 手打ちそばとなります

写真は、車山の南麓にある
 茅野市米沢にある
長寿更科の「冷やしおろしそば」の大盛です。

 ソバは、タデ科のそば属の一年草で、普通種と韃靼(だったん)種とに大別されます。
 韃靼種の「そば切り」は、長和町の「信州・立岩和紙の里」が知られています。
 ソバの草丈は、40~70センチ、茎は赤みを帯び、葉は心臓形で先がとがっています。
 夏または秋、白色や淡紅色の花びら状の萼をもつ小花を、美しく総状につけます。
 実は三角卵形で、緑白色、乾くと黒褐色になり、ひいてそば粉を作ります。
 古くから食べられてきた穀物のひとつで、日本へは、中国から朝鮮半島を経て伝えられたようです。
 一時、縄文時代中期の遺跡から発掘されたとして話題になりましたが、後年に混入されたようです。
 その後の発掘実績により、縄文晩期の約3000年前には、既に日本でもソバが栽培されていました。
 『続日本紀』巻9、元正天皇が養老6(722)年7月19日の詔に「今年の夏は雨がなく、稲が実らない。天下の国司に、百姓(おおみたから)を勧農し、遅く実る晩稲や、蕎麦及び大小麦を植えしめ、蓄え置き、救荒に備えさせよ」と「蕎麦」の栽培も奨励しています。
(『続日本紀』の原文にある「蔵置」、「儲積」も同義で「たくわえおく」の意味)

 寒冷な気候でも良く育ち、砂地や荒地など土壌を選ばないことから、凶作のときの救荒作物として広く栽培されたようです。生育期間がほかの穀物に比べて2~3ヶ月と極めて短く、早生の夏ソバと、晩生の秋ソバがあます。
 秋ソバのほうが、生産量が多く、信州では、10~11月に、「新そば」として称えられ、出回ります。
(2015.8.28[Fri])

八島ヶ原湿原の物見石
八島ヶ原湿原を
 旧御射山・沢渡に向って 木道を歩むと
ミズナラの林が 影をなして
 残照の日照を 和らげてくれます

八島ヶ池を過ぎ
 なだらかな緑野 物見石を 東に眺めます
 
物見石とは 
 茶席の待合で 身なりを整えた後 
亭主の迎付 案内を受け
 手水で 身を清めるため
 身を低くして 蹲踞を使い

迎え入れられた 内路地で
 茶室の扁額を 仰ぐのに
最も ふさわしいと
 据えられた石です

物見石が 茶席との 結界
 さしずめ 蹲踞して
八島ヶ池を 手水にし
 物見石を 車山の山頂に 浮かぶ 
純白の 笠雲の
 額見石と 見立てたのでしょう
(2015.8.27[Thu])

秋隣り 八島ヶ原湿原
 日差しが和む 秋隣り
  アサマフウロの赤紫色
  アザミの紅紫色
  トリカブトの青紫色
  ツリガネニンジンの薄空色

 ツバメが飛び交う 八島ヶ原湿原では 
  青紫系の花々が ことのほか 印象的です

 八島ヶ原湿原を 周遊すると
  幾たびか アサマフウロとの 出合が重なります

 鎌ヶ池周辺では アサマフウロの
  大群生に 出合い
   ただひたすら 感動し
   一心に 撮影に 専念します  

 アサマフウロは ハクサンフウロの群生地と
  部分的に混在します

 池畔のズミの林間に 植生するアサマフウロの花は
  50~80cmと 丈が低いため 
  遠くからでは わかりにくいのですが

 近づけば
  5枚の花弁は その赤紫色が濃く
  花弁の基部に 白色の軟毛が密生する なまめしさ

  基部から大半に 濃い脈流が 幾筋か伸び
  小弁でありながら 力強い意思がみられ

  花心には 淡雪のような 白色が 
  葉先にまでは 届かずも
  にじむほどに 
  葉先に 向かい 広がります

 秋隣り ミズナラ林の
  木漏れ日が 注ぐ辺りに 
  近づけば より美しい アサマフウロの花

 気高さを宿し
  それぞれが 思いを寄せれば
  語る言葉もなく 安和し
  時がとどまる 趣となりました
  
(2015.8.24[Mon])

八島ヶ原湿原 トネアザミ(利根薊)
 今年も いくつかの 季節が過ぎました

 八島ヶ原湿原に下る 歩道沿いに トネアザミが 
  本性を あらわに 
 荒む 勢いのまま
  様々に分枝して 多くの花々を 咲き散らします

 トネアザミの 花群から
  八島ヶ池を 通してみると

 男女倉山に
  睦み合う 男女祖霊が
 穏やかに 坐す様子が うかがわれます

 男女倉山は
  古代から
  輝く 佇まいとして 尊崇されています

 諏訪から 小県へ抜ける 道筋は様々で
  八島ヶ原湿原の 鷲ヶ峰を 源流にする
 男女倉川の 渓流沿いを
  日常の 行路人と 
 村里の民と 重なる 道筋でした

  落雷 獣害 落石 疫病など
 様々な 危険を想定しなければなりません

 古代人は
  夫婦の 祖神(おやがみ)を 祀り 

 行き交う 里人は 
  平穏な帰着を 願い
 神奈備山として 崇めてきました
2015.8.23[Sun]

過行く 車山高原の夏
 車山高原に住まいして
 30年を優に超え 春を送り 夏を迎えた

 薄暮の行人が
 安らかに 過ごす 生活が
 個癖となって
 ただ怠惰に 堕する恐れが 我が身を 震わせる

 一寸制馭を ほしいままに 横着になり果てて
 昼の食後に 埴生の宿を出て
 夏の陽射しに 汗ばみながら
 人気のない 静かな渓流を 下った

 無聊のままに キセキレイの
 鋭い地鳴きに 誘われて
 
 マルバハギの 紫の花の茂みを 分け入ると
 渓流の樹間に ひそむ フシグロセンノウの 小群落と出合った
2015.8.22[Sat]

車山高原の夏空
車山高原では 8月の半ばを 過ぎても
信濃の夏は いまだ暑さが 厳しい

 湿度が 少ないことで 漸く救われる
 
 夏空であれ
 午後になれば 怒りを含んだ思いで 空を仰ぐが
 浮かぶ 真綿のような 雲に 
 秋の気配が 強く感じられ 心が和んだ 

 ミスナラの林で モズが けたたましく鳴く

 車山高原から 眼下に 諏訪の平が一望できる

 里山では 濃淡様々な 緑野が
 朝露に 濡れて 瑞々しく輝き
 吹く風までも 優しく 穏やかで
 新鮮な 息吹に満ちて 香しい
(2015.8.17[Mon])

車山高原 盛夏
 車山高原は 連日 天気が続き
 その陽射しは 既に 盛夏を告げている
 埴生の宿の気温は 早朝でありながら 20度あった

 吹き渡る風も 生温い 暑気を含んでいる

 信濃の中信で
 たたなづく 青山の峰々に 暖かく 包まれ
 のびのびと 拡がる 車山高原の 東方には 
 日が昇る 八ヶ岳が
 屏風絵のように 
 緑の 山肌一筋々々が 暖かく 描かれていた 
2015.8.1[Sat]

 
2014年 8月の車山高原日記

長門牧場まで車山から車で20分
 長門牧場は、八ヶ岳・蓼科山の西麓、標高1,400mの信州北白樺高原にある高原牧場です。のどかにアルパカやヒツジが、牧草を食べていました。

 その牧草地は211haあり、東京ドーム45個分に相当します。自家産の牧草を使って乳牛200頭を飼育する、本州でも有数の搾乳牧場です。
 
 朝4時と夕方4時の搾乳の時間になると、牛たちはミルキングパーラーに集まってきます。牧場内のプラントで乳製品を製造し、牧場を訪れるお客に直接販売しています。  
 長門牧場では、ドーム型の牛舎の中で、牛たちは、つながれる事なく、好きな場所で寝ています。牛たちにストレスを与えない酪農を基盤に、生産・製造・販売を一貫して行う新しい農業形態を目指しています。
 長門牧場では乳牛の餌である牧草を自家生産し、それを食べて育った牛から搾られた生乳で、5種類のアイスクリーム・ソフトクリーム・ヨーグルトやチーズなどの乳製品が製造・直販される事によって、消費者に生産工程が目に見え、安全が保障されるのです。
 モツァレラチーズは、イタリア生まれのフレッシュチーズです。新鮮な牛乳を使い、お湯に入れて丸く成型する工程を、すべて手作業による伝統的な製法を踏襲しています。独特な柔らかな食感とコクのある風味は、手作りだからこそ達成できるのです。
 レストラン colline[コリーヌ]では、薪窯で焼き上げる本格ナポリピッツァ、トマト・バジル・長門牧場モツァレラチーズを素材とする定番、マルゲリータが、大人気です! 
2014.8.31[Sun]

車山から蓼科バラクラ イングリッシュ ガーデンまで車で20分
 今日、久しぶりに訪れたバラクラ イングリッシュ ガーデンの庭園内に、珍しい八重のムクゲや大きな花序のアジサイなどが、季節が終わるまま、花殻が荒れるままに残しているのが残念でした。
 今咲いているダリアは、僅かですが、咲いている花は、それぞれきれいでした。主に、中型以下の花の種類が多く、これから、益々、大きく華麗な花の種類が咲くでしょう。楽しみです。
 蓮池の蓮は終わっていましたが、一株だけ純白の小さな蓮が、草丈を伸ばして咲いていました。
 種類が豊富なバラ類も、夏の暑さに花を傷め無残でした。これから適温になってくれば、秋咲きのバラが咲く季節となるでしょう。

 バラクラ イングリッシュ ガーデンを回遊し思うことは、もっと、四季折々に咲く花の説明表示が、あってもよいかとおもわれます。
 これよりも広大な八島ヶ原湿原や戸隠森林植物公園では、もっと懇切丁寧な、工夫された案内板があります。

 バラクライングリッシュガーデンのショップとレストラン前にある黄金アカシヤが、夏前のライムグリーンから、既に黄金色に染まり始めていました。
 日本各地の黄金アカシヤは、ここから広まったと記す札が架かっていました。
 車山・八島ヶ原・霧ヶ峰・白樺湖・蓼科の秋の訪れは、八島ヶ原のシツゲンヤマウルシの紅葉と、白樺湖の東岸と蓼科バラクラ イングリッシュ ガーデンの黄金アカシヤの色付きから始まるようです。
(2014.8.29[Fri])

今、車山では、ナンテンハギがきれいです
 和名は、小葉の形が南天(ナンテン)に似ていて、花の形が萩(ハギ)に似ていることに由来します。また小葉が2枚であることから、フタバハギ(二葉萩)とも呼びます。
 常緑低木のナンテンや落葉低木のハギとは異なり、マメ科の多年草です。
 車山では、その高原の草地に生え、茎の高さは30~60cm位になり、葉は緑色で3~7 cm位の卵形から狭卵形で、マルバハギとは異なり、先は鋭く尖ります。
 車山の6月頃、先端の若い葉を、小豆菜(アズキナ)と呼び、スープの浮実・サラダ・おひたし・和え物などに用います。レア・メモリーでは、小豆菜にヤマウドと玉ねぎを合わせて、かき揚げ天ぷらにします。
 車山高原のナンテンハギは、8月中旬頃から咲き始め、可愛らしい青紫色の蝶形花を、10数花、穂状に集めます。
 花の後には、長さ3cm位のサヤエンドウに似た小さな莢(さや)をつけます。それから約一ヶ月後、莢を開けると、中には黒く硬い実が1個か2個入っています。
(2014.8.28[Thu])

マツムシソウが咲く車山高原
 モミジやナナカマドの葉が、幾分、紅色に染まると、車山山頂からマツムシソウ(松虫草)が咲き始め、山を駆け下ってきます。
 秋の花は、すべて車山山頂から、八島湿原→霧ヶ峰高原→車山高原→池のくるみ→白樺湖へと、低きに展開して行くのです。
 車山高原のマツムシソウは、秋の気配が漂う8月半ば頃から咲き出し、草原に初秋の訪れを告げる花なのです。
 キク科と同様の頭状花序をもつ高等な植物の仲間です。直径2~5cmの一つひとつの小花は、筒のような形で、それがたくさん集まり、外側の小花が大きく発達して飾りとなっています。
 典型的な陽性植物で、高原の日当たりの良い乾いた草地を好み、初秋の高原で出合う越年草です。その花は爽やかで、ピンクかかった青紫色が美しい!
 今、車山の中腹で、マツムシソウが、初秋風に吹かれて涼しげに咲いています。かつては諸所に群落を作り、その青紫色の清楚な花が、秋に咲く車山高原の花々を代表していました。
 蛙原の南にあたる霧ケ峰薙鎌神社の入り口に、長塚節が霧ケ峰を歌った歌碑が立っています。
   うれしくも わけこしものか 遙々に 松虫草の 咲き続く丘

 マツムシソウは、血液の流れを促し、血管内の血小板の凝集を抑制する作用があり、脳血栓・心筋梗塞などの予防に、乾燥した全草を1日の量10~20gを、水0.4~0.6lで煎じて、3回に分けて食後に温めて服用するとよいようです。
 中国産の仲間は、花を薬用に用い、頭痛・発熱・肝炎の薬となります。
 マツムシソウの学名は、Scabiosa japonica。Scabiosa(スカビオサ)とは、ラテン語のscabieaが語源で、疥癬(かいせん)を意味します。
 疥癬とは、0.3mmくらいの疥癬虫と呼ばれるダニが、皮膚表面の角質層に寄生して起こる感染症です。その疥癬であれば、奇妙な名前ですが、ヨーロッパのマツムシソウが、疥癬虫に薬効ありと信じられていたからです。
 
(2014.8.26[Tue])

八島ヶ原のサワギキョウ
 サワギキョウ(沢桔梗)は、八島ヶ原湿原などの湿地に生える多年草です。しばしば群生します。茎は分枝しないで直立し、高さ90cm程の草丈になります。
 その上部に、多数の目の覚めるような、鮮やかな紫色の花をつけます。この季節、霧ヶ峰高原の陽光に一番映える花かも知れません。
 今日は曇りがちです。八島ヶ原湿原の遊歩道沿いで、サワギキョウを探しながら、トネアザミ・マツムシソウ・ツリガネニンジン・ワレモコウ・クルマバナ・アキノキリンソウ・アサマフウロ・アカバナシモツケ・ノコギリソウ・カワラナデシコ・ウスユキソウ・ヤナギラン・ムカゴトラノオ・クガイソウ・ヤマハハコ・マルバハギなどに出合いながら、霧の中で潤う、秋の高原の花々を、ゆっくりと観察して下さい。
 時には、花を見ながらの散策の途中、キイキイと高鳴きするモズの囀りに驚かされます。八島ヶ原湿原の木道沿いのヒヨドリバナの茂みから、キチキチ・キチキチと絶え間なく聞こえてくる虫の音は、実はモズの地鳴きです!
 サワギキョウは、キキョウと同じく雄性先熟で、雄しべが伸び花粉を放出する雄花期と、その雄しべが萎んだ後に、中心の雌しべの柱頭が伸びて開く雌花期が続きます。
 キキョウ科の多くは、美しい山野草ですが、有毒植物としても知られています。サワギキョウの葉や茎を折ると分泌する乳液には、ロベリンというアルカロイドが含まれています。その一方、ロベリンは、呼吸困難の際に回復薬として使用され、ニコチンと分子構造が類似するため、ニコチンの代替物質として禁煙プログラムに利用されています。
 キキョウの根も、サポニンを多く含むことから生薬(桔梗根;ききょうこん)として利用されています。咳や痰を止め、喉の痛みを和らげ、声がしわがれた時などに用いられます。
 キキョウの葉や茎を折ると出る白乳液は、樵・猟師・炭焼きなどを生業とする山人が、漆にかぶれたときに塗布したようです。
(2014.8.25[Mon])

八島ヶ原湿原、シツゲンヤマウルシの紅葉
 標高1,600mの八島ヶ原湿原を中心にして、丸山・鷲ヶ峰・男女倉山・大笹峰・物見石・蝶々深山・車山・星ヶ塔・星ヶ台が周囲を巡ります。
 昨年は9月15日に出掛けました。その時の八島ヶ原湿原のシツゲンヤマウルシの写真です。そのヤマウルシが、秋の先頭を切って八島ヶ池の浮島を、真っ赤に染めます。
 八島ケ原湿原でしか見ることができないシツゲンヤマウルシは、70年近く前に『霧ケ峯の植物 』の著者、飛田 広氏が発見した固有種です。ヤマウルシの一変種とみられています。
 厳しい寒気と土壌の浅さや湿原のため、矮小化したようで、最大で60cm、多くは30cmほどしかありません。ただ僅か10cm程度であっても、花や果実は立派なものを付けます。
 八島ヶ池で最も大きい緑の浮島に数十株が自生し、ほんの束の間ですが、紅を散らします。静かで、自然の息づかいが聞こえてくるようです。
 やがて八島湿原全体が"秋色"に染る草紅葉となります。
 ヌマガヤやミタケスゲが紅色を強め、周辺ではユモトマユミ・ノリウツギ・オオカメノキ・レンゲツツジなどの樹木やヤナギラン・ハクサンフウロ・アサマフウロ・ヒヨドリバナ・タカトウダイなどの草本が、紅から朱色に、美しく色づきます。ヨツバヒヨドリの紅褐色も、深みのある色合いです。
 沢渡へ向う草原では、ススキの花穂が、西日を浴びて銀色に映えます。
(2014.8.22[Fri])

車山高原で味わう南瓜のタルト
 本日の車山高原リゾートイン・レアメモリーのデザートのケーキは、南瓜のタルトに抹茶入りのレアチーズを重ねました。
 ベースは、奈良県斑鳩の里の自家農園で収穫された大和カボチャです。皮ごと吹かし器で蒸します。
 よく潰してから裏漉しをします。グラニュー糖と生クリームを加えて和えます。
 タルトの台は、ビスケットにバターを入れて、よく揉み込みます。
 風味づけにバターを入れます。
 タルトの台に詰めて焼き上げます。
 冷めてから、抹茶入りのレアチーズを重ねます。
(2014.8.21[Thu])

車山高原のシュロソウとは
 車山高原では、シュロソウ(棕櫚草)の花が最盛期でした。長さ50cm~1mほどになる花茎をやや斜上させて、穂状に、径1cmほどの暗紫褐色の花を多数咲かせます。花被片は6枚で楕円形です。その花は、イチゴのヘタを内側から見たような、きれいでもなく目立つ色でもありません。それが、濃い色なので、車山高原の万緑の草原では、目立つ存在となります。一度、気が付くと、シュロソウの数が意外に多いのに驚かされます。
 シュロソウは、「ユリ科」に分類されていましたが、最近では「ショウジョウバカマの仲間」や「エンレイソウの仲間」などとともに、「シュロソウ科」として独立させることが多くなっています。
 葉は、葉縁に並行な葉脈が目立ち、茎の下部に集まってつき、長楕円形~広披針形で、葉先は鋭三角形状、幅4cmほど、長さ30cmほどです。基部は鞘状になり茎を抱き支えます。
 その葉が枯れても葉の基部の葉鞘の繊維がそのまま残り、それがシュロの木の剛毛に似ていることから「シュロソウ」となったというのが通説です。

 山地の林内の開地や草原に生える多年草で、高さは0.5~1m、花は暗紫褐色で雄花と両性花があり、茎先に円錐花序(枝分かれして全体が円錐状に見える)を付け、花径1cmくらいの花をたくさんつけます。花被片は6枚です。花序の上部には両性花、下部には雄花を咲かせます。一見、果物のへたみたいです。これが花かと疑ってしまいそう!
 花の後にできる実はさく果で、熟すると下部が裂け、種子が飛散します。

 全草有毒で、根茎にアルカロイドのペラトラミンやステロイドなどの強い毒を含むとされてきました。
 伊吹山では、2年前、シュロソウが、鹿の食害に遭い個体数を減しています。近年の研究では、一般的には毒草とされてきたアオヤギソウやシュロソウの白い茎の根元が、アイヌ民族は「ヌペ」と呼び、北海道日高管内のごく一部の地域や、秋田県男鹿半島では両種を「エジョロ」と称し、同じくそれらの根元を、現在でも食べられていることが報告されています。
 地域や生育環境の違いにより、遺伝的に毒性を含有しない株があるようです。またシュロソウは元々毒性が弱いとされる一方、根元にデンプンを多く含むため、むしろ救荒植物として重要とされる考え方もあります。
 北カリフォルニアでは、妊娠14日目の羊が食べた時、生まれた子羊が、一つ目の奇形となると古くから言われてきました。しかし、そのシュロソウが含有する化合物の、ヒトに対する催奇形性作用は明らかではないようです。
 ただ、シュロソウの中の微量成分が、細胞の発生分化の過程を阻害する危険性があるようです。
 「妊娠の可能性のある若い女性は食べないように」十分に注意する必要があるといわれています。
(2014.8.12[Tue])

ワレモコウに小さな花が咲きました
 8/1、八島ヶ原湿原では、既にワレモコウ(吾亦紅)が、一株、暗赤色の丸い花穂を付けていました。
 ワレモコウは、夏から茎を伸ばし、その先に小さく短い楕円形の穂を付けます。
 霧ヶ峰の八ヶ岳・南アルプス・御嶽山と見晴らす高原で、諏訪湖から吹き上げる風に、吹かれるまま大きくそよぐワレモコウの小群落と出合うと、思わず「やはり野の花なのですね!」と語り掛けたくなる優しさがあります。
 行けども行けども、諏訪大社のご神体・守屋山に正対する霧ヶ峰高原の秋、一面にススキの花穂の大群落となる草原で、一番、出合ってうれしいのが、ワレモコウの小群落との光景です。
 今日、車山高原のレア・メモリーの庭にあるワレモコウの花穂が、一つ二つと小さな花を咲かせていました。
 順に、先端から下に向かって開花していきます。花は4枚の淡い赤紫色ですが、花びらに見える部分は、実は萼(がく)で、花びらは退化しています。
 花びらもない地味な花穂の名残りでありながら、いつまでも枯れないワレモコウの花のイメージとなっているのです。雌しべ・雄しべが退縮した後も、萼は長く残るため、晩秋まで咲き続ける花のように見えるのです。
その萼は小さいながらも、鎧状の花穂の名残りとなり、何かを守っていました。その枯れた花穂の基部をつまみます。上部に4つの花弁のようなものを付けた果実が3つ出てきました。その果実の果皮を剥ぐと薄緑の固い種子が現れます。
 ワレモコウの果実に付く4つの花弁は、モミジのトンボと呼ばれる種子と同様、風に吹かれて遠く飛散させる役割があるのでしょうか。
2014.8.9[Sat]

立秋の八島湿原に咲くオミナエシ
 うちなびく 野辺は広しと 女郎花     稲畑 廣太郎
 
 まるで八島ヶ原湿原に咲くオミナエシを詠んだような俳句です。

 秋の七草とは、オミナエシ・オバナ(ススキ)・キキョウ・ナデシコ・フジバカマ・クズ・ハギで、「おすきなふくは」と覚えるそうです。秋の七草は、春の七草のように摘んだり食べたりするものではなく、野の花が咲き乱れる花野を散策し、短歌や俳句を詠み、ホオジロの地鳴きに耳を傾けながら眺めて楽しむものです。
 八島湿原に植生する花期が終わったレンゲツツジの枝先に、ホオジロが止まっていました。雀ほどの大きさでありながら、囀るのをやめて静止するその姿は、凛とした気が漂う佇まいでした。

 立秋の時季、かつて、天高く巻雲が浮かぶ車山高原では、オミナエシの小群落が幾筋が並ぶ光景が、各所で、散策の途上で楽しめました。
 現在、鹿の食害により、蓼科・白樺湖から上がるビーナスラインを走る車窓からは、孤立するオミナエシが、一株・二株と観察されるだけです。オミナエシには、孤独はそぐわない!

 オミナエシ(女郎花)の名は、オトコエシより弱々しいから付けられたとか、楚々とした若く美しい 女性にたとえて「をみな(女)」の名が付いたとか、「オミナ」は美しい女性の意味で「エシ」は古語の「へし(圧)」で美女を圧倒する美しさから名付けられたとか、諸説あります。
 女郎花は、十五夜(旧8月15日)に飾る秋の七草のひとつであり、園芸では庭植えの他、鉢植えや切り花として利用されます。
 日当たりのよい草地などに生え、草丈は通常1m程になりますが、数本の茎をまっすぐに伸ばして株立ちになり、茎頂で枝を5裂に分け、毎年8月初めから秋にかけて、黄色い小花を一ヶ所に多数まとまって咲かせ、逆さ円錐の形を作ります。花房は全体で15~20cmほどの大きさがあります。
 葉はやや大きく、多くの場合、葉先の裂片が大きく羽状に深く裂けてみえます。地方により異なります、オミナエシ・ススキ・キキョウは、盆花を代表する花々です。
(2014.8.7[Thu])

車山に咲くイブキボウフウとは?
 最初に滋賀県伊吹山で見つかったのが名の由来とされいますが、日当たりのよい山地の草原などで生育し、伊吹山は分布域から見ればほぼ南西限です。
 イブキボウフウ(伊吹防風)は、北海道から本州の近畿地方以東に広く分布しています。
 伊吹山にちなむ山野草が多いのは、早い段階から、そこで多くの野草が見出され研究された成果だと思われます。特別に伊吹山に群生しているとは思われません。
 イブキボウフウは、立秋を迎える今の八島湿原で、彩り豊かなヤナギラン・アカバナシモツケソウ・キンバイソウが人目を独占する盛夏の最中、ヒヨドリソウが繁茂する湿原に、いく株かまとまって咲き、涼やかな白一色の花の一群となり、意外に印象深い花となっています。
 高さが40~90cmと様々な草丈があり、しかも地味な花でありながら、爽やかで清楚な風情があり、盛夏の車山高原では忘れられない花の一つです。
 その根は生薬で和防風(わぼうふう)といい、発汗・解熱・鎮痛などの薬効があります。また防風には、その根が風邪を予防する生薬であることに由来します。
  属名の Libanotis は、ギリシォ語の「libanos(よい香り)」が語源で、イブキボウフウの花は、仄かな優しい香りを発します。
(2014.8.6[Wed])

車山にも、漸くコオニユリが咲きました
 コオニユリ(小鬼百合)の花は、車山高原の夏の強い陽射しに映えて輝いて見えます。
 コオニユリは日本の在来種ですが、オニユリは中国から移入されたもので、そのオニユリと比べると、草丈や花の大きさなど、全体にほっそりした感じで、それで小さいオニユリと呼ばれたそうです。
 コオニユリは、日当たりの好い適湿の山地や草原に生える多年草で、その仲間のオニユリやヤマユリの鱗茎は漢方では百合(ひゃくごう)の名で滋養・強壮・解熱等に用いられる薬に利用されてきました。
 そのたくさんの燐片が重なっている隣茎の形から「百合」の字が当てられたと言われています。「隣茎」とは、字に「茎」が使われているように、実は「根」ではありません。「茎」が変形したものだそうです。
 古代からこの鱗茎(ユリ根)が食用とされてきました。通常、ユリ根は、周囲の鱗片を剥がして、煮て食べます。打製石斧は、縄文時代、ヤマユリ・オニユリ・コオニユリの球根の畑栽培用の農具でもありました。
 オニユリは、古代、中国から伝来し、数千年来、日本に広く分布したようです。それ以来、オニユリのユリ根は、食用として栽培されきました。葉の付け根(葉腋)に生じる、小さい鱗茎に似た「ムカゴ」が地表面に落ちて、無性繁殖を行います。オニユリの花は、受粉しても種子ができないそうです。
 一方、コオニユリは「ムカゴ」を付けません。日本では、北海道から奄美諸島まで、しかも平地から高山まで、いたる所に自生しています。 
 17世紀頃の江戸時代には、国内で栽培され、関西地方での消費が特に多く、現在でも京料理には欠かせない素材となています。
 現代の食用のユリは、赤系のコオニユリ・オニユリと白系のヤマユリの三種があります。
 特にコオニユリのユリ根が最も苦味が少なく、現在販売されている食用ユリ根の95%がコオニユリだそうです。
 国内生産の殆どが北海道産の栽培品種で、北海道の真狩を中心に栽培され、北海道全体で全国の約98%を生産し、真狩産が北海道産の4割を占めています。 
 ユリ根の栽培には長年月を要し、種球から始めると何と6年もかかるそうです。連作に弱く、土の中で栄養をたっぷり摂取し、冬は一旦収穫し、おがくずの中で休眠させ、再び土に戻します。しかも、毎年植える畑を替え、一度植えた畑は最低でも7年は空けなければならないそうです。
(2014.8.5[Tue])

車山レア・メモリーの庭にウバユリ咲く
 昨日夕刻、ウバユリ(姥百合)が今年、初めて咲きました。これから他の株も、順次咲いてくれるでしょう。
 やや湿った林縁のような半日陰を好み、通常、草丈が100cmくらいあり、大きく見事な花を横向きに咲かせます。数個の黄緑色から緑白色の野趣漂う花です。
 さらに大型の花を10~20個咲かせるものを、オオウバユリと呼んで区別しています。
 5日位で直ぐに散ってしまいますが、翌春まで立ち枯れした、実をつけた茎をみることが多いです。
 花をつけた株は一生を終え、元株の脇に子株が育っています。
 車山や霧ヶ峰では、近年、鹿の食害が激しく、丁度、花が咲いたときに、花ごと頂部を食べられます。そのため、年々、花付きが悪く、殆どが、花を2つ、時たま3つ程度、咲かせるだけです。その草丈も70cm以下と矮小化しています。

 
 ウバユリの鱗茎(りんけい)には、良質のでんぷんが含まれています。花をつけるものが「雄花」、花がないものが「雌花」で、花をつけると鱗茎は萎むので、採取するのは「雌花」だけです。
 北海道では、アイヌにより「トゥレプ」と呼ばれ、アイヌ民族が用いる植物性食料の中では穀類以上に重要視していました。掘り集めるのは6月下旬から7月上旬ぐらいまでの間が良く、早すぎるとデンプンが少なく、遅すぎると色が黄ばんで硬くなるそうです。
 掘り出したまま、笹に包んで、石皿に載せ蒸し煮にすると甘味が増し、笹の香りが調味料代わりとなります。
 アイヌ民族が主食としたのは、冬でも食いつなげる保存性にありました。ウバユリの鱗茎を、まず細かく刻んで乾燥させ、これを臼でついて、でんぷんの粘りが出てきたものを、ドーナツ状に成形します。
 穴にヒモを通して、住居内で乾燥して保存食糧とします。突き固めた鱗茎を水にさらして、底に沈殿する白い上質のでんぷんを団子にして保存したり、炉で焼いて食べたりします。
(2014.8.4[Mon])

八島ヶ原湿原の黄金色の花,キンバイソウ
 花の名は、梅の花に似た黄金色の花を付けるところから、キンバイソウ(金梅草)と呼ばれ、高さ40~110cmくらいに成長し、高山植物のシナノギンバイより背が高いのが特徴です。
 夏の八島ヶ原の草原では、一際目立つ、ややオレンジ色を帯びた独特の黄金色です。
 掌状に裂けた葉から伸びた茎の上部で、枝分れして、黄金色の花を付けます。花びらのように見えるのは萼片で、5~7個あり、花弁は花の中央に直立する線形です。雄しべより少し長く、この点でもシナノギンバイと区別ができます。
 花びらや雄しべが大きく八重咲きの種があります。それがヤエザキキンバイソウです。通常のキンバイソウよりも花弁や花被片の数が、やや多い種を半八重咲き、さらに多い場合は菊咲きと呼ぶこともあります。
 キンバイソウは、草原の湿地や樹叢近くの、やや湿った所に群落をつくります。 
 かつては、車山から車山肩へ下り、さらに下りきった霧ヶ峰沢渡などに群落をつくり、今時分の真夏の草原を鮮やかに彩っていました。
 キンポウゲ科ですが、アルカロイドを含む有毒性はないようで、鹿の食害に遭っています。
2014.8.3[Sun]

八島ヶ原湿原の美しいノリウツギ
 八島湿原の標高は、1.647m。ここから車山に登る人が多いです。
 八島→沢渡、30分。沢渡→車山肩、35分。車山肩→車山、45分。

 八島ヶ原湿原の木道沿いに咲く、高原の花々を見ながら一周しました。
 入口一帯は、ノリウツギ(糊空木)が優占し、生い茂るその樹叢の中で、その豊富な枝先に、小さな純白の花を多数つけ、周辺に点々と白い装飾花を花弁状に広げる、白一色の山の花らしい風景でした。
 やがて、ノリウツギが終わると、朱色のトネアザミの花が、広く展開していきます。

 今八島ヶ原湿原は、ヨツバヒヨドリ・シシウド・ノアザミが、目立ちますが、それ以外の種類も豊富で、ヤナギラン・アカバナシモツケ・ハナチダケサシ・キンバイソウ・ツリガネニンジン・エゾカワラナデシコなど、数も多いです。
 ようやくコオニユリの花とも出合いました。ニッコウキスゲもまだ咲いていました。
 驚いたことに、既にワレモコウも、ごく一部でしたが、咲いていました。
2014.8.2[Sat]

2013年 8月の車山日記

車山高原のコシアブラの花
 ウコギ科のコシアブラの樹皮は灰白色で、白い斑が交じるのが特徴です。花は晩夏に、ウコギ科の仲間であるタラノキ属の多年草のヤマウドと同時期に、同じように長い柄のある散形花序を伸ばして、小さな花を多数つけます。
 その実は熟すと黒くなり、サンショウの実をもっと優しくしたような味わいと香りがあります。ソバ・豆腐・ステーキなどの薬味に最適です。
 秋の落葉前に、葉の葉緑素が抜けて、薄い透明な黄色に染まります。樹高が高く、陽射しを透かして美しく輝くので、林の中でも目立ちます。
 コシアブラの和名は「漉し油」を意味し、この樹脂の利用に由来するのです。幹を傷つけ樹脂を取り、漉して樹脂に加工を施すと黄金色に輝く塗料ができます。古来「金漆(ごんぜつ・こんしつ)」と呼ばれ、工芸用塗料として珍重されました。ただ長くその加工法は忘れ去られ、断絶していたそうです。
 NHKの『ためしてガッテン』で「もやし酢」の レシピが公表されました。
 材料は、穀物酢 200ml ・水200ml・ 砂糖大さじ3・塩大さじ1・もやし1袋です。作り方は、もやしを湯通し、空き瓶に入れ、残りの材料をすべて加えます。
 春山菜の季節に、この「もやし酢」に、コシアブラの新芽を生のまま、マリネ風に漬けるのです。もやしと一緒に食べます。極めて美味しいです。
 コシアブラは湯通しすると、逆に苦みとえぐ味が生じます。生のまま利用する事がポイントです。
(2013.8.30[Fri])

八島ヶ原湿原のアサマフウロがお勧めです
 浅間風露(アサマフウロ)はフウロソウ科フウロソウ属の多年草です。その和名の由来は、浅間山麓に多いことに由来します。
 「風露」にはグンナイフウロ・ハクサンフウロ・タチフウロなど数々ありますが、アサマフウロが最も大型で、しかも鮮やかな色合の美しい花をつけます。
 アサマフウロは、環境省の2,007年レッドリストで、「現時点では絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては『絶滅危惧』に移行する可能性のある種」として準絶滅危惧(NT)に登録されました。
 長野県の中部高原でも、その群生地は極めて限られていますが、植生域では割と群落として見られます。八島ヶ原湿原の八島ヶ池・鬼ヶ泉水にかけての群生は、ユウガギク・シモツケソウ・ヤナギランなどの艶やかな花の群落に圧倒された後に出合う感動ですから、思わず驚感する声が木道ですれ違う方々の挨拶代わりとなります。
 生薬として有名なゲンノショウコもフウロソウ科です。そのお蔭でしょうか、鹿の食害を免れたアサマフウロが、車山山頂付近でもみられます。佐久市の東側に位置する荒船高原でも、盛夏を迎えた熱い最中に美しいアサマフウロの花が咲き競います。
 アサマフウロは本州の中部地方に分布し、高原や亜高山帯の湿った草地などを適地にします。
 草丈は20cm前後で、全草に微毛があります。通常、八島湿原での開花時期は8月中下旬から9月上旬です。フウロソウ科の植物の開花期間は比較的長く感じられます。花の色は濃い紅紫色で、その真ん中に白い軟毛が生え、花径は3cm位です。花びらは5枚、萼片も5枚です。葉の表裏の脈上に短い毛が密生しています。
 八島湿原の草紅葉の主な草本類は、アサマフウロなどフウロソウ類やヤナギラン・ヨツバヒヨドリなどが主体で、レンゲツツジやマユミが背景色となり染まります。ノリウツギは、その生息地が八島湿原という寒冷地ですから、装飾花の萼片がいつまでも残り、それが寒気を迎えると花弁状に変化して、やがて白色から淡く赤色を帯びて秋遅くまで残ります。
2013.8.25[Sun]

今、秋の高原の花が一番美しい八島湿原
 八島ヶ原湿原の標高は1,630mです。今が一番華やかに、初秋の花の数々が咲き競っています。
 1つ1つのかたまりが大きい、ひつじ雲の隙間から洩れる陽射しは穏やかで、散策する者には快適でした。
 八島ヶ原湿原を見下ろす高台の入口で、ガクアジサイのようなノリウツギの白い花群が北向きの斜面一帯を占拠していました。その先の階段付近からはトネアザミが荒々しく咲き乱れています。鎌ヶ池と遠目に男女倉山が見られます。
 もう少し下るとマルバハギが木道沿いに、ハイカーの膝あたりの位置で紅紫色の蝶形の小さな花をたくさん結び、黄色のオミナエシと交互に花道を飾ってくれました。八島ヶ池近くになると背丈の低い淡い薄紫のタチフウロの群生が、何ヵ所にも広がっていました。 鷲ヶ峰方向の高い斜面では、ハンゾウソウの群落もみられました。
 やがて濃い朱色が鮮やかなアサマフウロが目立ちはじめると、八島ヶ池の岸辺一帯に大展開する光景と出合います。山野草を観賞する醍醐味です。
 鬼ヶ泉水に進むとシモツケソウが終わり掛けていましたが、ヤナギランの貴婦人ぶりは今だ健在です。ワレモコウの盛期で、赤褐色の花穂が咲き乱れていました。
 鎌ヶ池の周辺では、ウメバチソウが目立ちましたが、木道から遠いため、その小さな白い花を充分に観賞できませんでした。薄紫のマツムシソウの花が大きく感じられました。シシウドの大きな傘形の白色花を通して眺める車山は、なだらかな山容でした。
(2013.8.23[Fri])

車山に秋の兆し、ツリガネニンジン
 ツリガネニンジン(釣鐘人参)は、初秋の草原を代表する野草の一つです。レア・メモリーのテラスで、そろそろ夕方近くなると吹きはじめる秋風に、鈴なりに付ける釣鐘の花がゆらゆらと揺れていました。
 レア・メモリーの庭だけでも数種の変種があります。花柱を抽出し、その先に多数の淡紫色の鐘形の花を下向きに輪生させます。丘陵帯から山地帯の日当たりのよい草原や畦など、日本全土に自生しています。樺太・南千島でもみられ、世界に約70種、日本では約15種分布しているそうです。キキョウ科の多年草でツリガネソウともいわれます。茎は高さ0.4~1m、折り取ると乳液が出ます。車山高原では8中旬~9月と花期は長いです。
 名の由来は、花が釣鐘形で、根が太くチョウセンニンジンに似ていることによります。諏訪地方では、4月~5月頃、新芽をミネバと呼び食用にします。えぐ味も灰汁もありません。やや強めに湯がけば一般野菜と変わりません。漢方では、根を乾燥したものは沙参(しゃじん)と呼び、強壮・去痰剤に用いるそうです。
 ツリガネニンジンが咲く頃、同じ山裾にツリガネニンジンに良く似たソバナや、イワシャジンが花を付けます。ソバナの漢字は岨菜で岨(切り立った崖)に生え、若芽が食べられるのでソバナと呼ばれるといわれています。イワシャジンの漢字は岩沙参で、沙参とは「ツリガネニンジン(釣鐘人参)」の慣用漢名です。岩に生えるツリガネニンジン(漢名で沙参)の意味です。ツリガネニンジンやソバナのように何処にでも見られる花ではありませんが、ツリガネニンジン・ソバナ・イワシャジンは同じキキョウ科ツリガネニンジン属の花です。
 夏の終わり頃から秋にかけて高原の初秋風にそよぐ孤高にして清楚な花、ツリガネニンジンは車山高原らしい風情で揺らいでいます。
2013.8.17[Sat]

踊場湿原(いけのくるみ)とヤマヨモギ
 霧ヶ峰の高原台地の大部分は山地草原です。八島ヶ原湿原・車山湿原・踊場湿原など一部は湿原となっています。この台地に植生する植物のほとんどが草本類ですが、レンゲツツジ・ノリウツギ・オオカメノキなど低木類やシラカバ・ミズナラ・アカマツなどの高木も混生しています。近年では、車山樹叢のようにミズナラの森林も目立ち、特に踊場湿原からカボッチョ山付近のイモリ沢からカシガリ山の西麓一帯では、アカマツが優占しています。車山高原のビーナスライン沿いでは、ニセアカシアの繁殖が際立ちます。
 特に車山高原は山地帯上部から亜高山帯下部にあたり、江戸時代初期から活発となる森林化防止の山焼きが、現在まで続いています。そのため典型的な二次草原として、高原植物・湿原植物が豊富に植生するようになり、そのため明治時代から植物学者の目にとまった新種33種など、珍種の発見例が数多くありました。
 ただ今年の4月下旬、諏訪市長を初めとする諏訪市域の下桑原・小和田など、かつて入会権を保有していた財産区の住民が、毎年恒例の山焼きを行いました。時に強風注意報が出されていた最中でしたから、山焼きの勢いを計画通りに抑制できず、火勢は留まることなく拡散し、自衛隊の出動となり、天然記念物の踊場湿原から、南は茅野市の米沢・東側はカシガリ山の西麓にまで延焼し、漸く風向きが変わり、鎮火していきました。カボッチョ山はほぼ全焼しました。その間のレンゲツツジはほぼ全滅状態です。
 それでも8月にはマツムシソウ・アザミ類・チダケサシ・ツリガネニンジンなどが美しい小群落を作っています。
 踊場湿原は車山の西南麓にあり、周辺は車山・強清水・カボッチョ山などで囲まれた断層線上に発達した湿原です。車山斜面からイモリ沢の清流が湧き、アシクラ池を形成します。他の周辺はヨシ・イワノガリヤス・オニナルコスゲなどが優占する低層湿原群落を形成します。池の中にはヤマアゼスゲの谷地妨主が発達し特異な景観を演出しています。その谷地妨主の頭が、4月のゴールデンウィークの大失火で、アシクラ池周辺の東側で多くが黒く焼かれていました。
 踊場湿原の高層湿原は池の西側にみられ、泥炭層は最深部で2.3mあります。草本類の群落は八島ヶ原湿原と変わりませ んが、ハナゴケ群落はみられません。
 八島ヶ原湿原では、シシウドの白色・クサレダマの黄色・ヤナギランの赤紅色・コウリンカの赤黄色など、今の時季、色彩が豊富で見応えがあります。やさしく視界の中に入ってきます。高原では、涼しげな風にそよぐ薄紫色の花マツムシソウが、秋の訪れを既に告げています。
 踊場湿原周辺でよく見られる大形のヨモギは、ヤマヨモギで大型の多年草で「オオヨモギ」ともいわれています。山地陽性植物の典型で、特に草原山地に繁殖するものは、茎が太く直立し、意外に踊場湿原とその後背にあるカボチョ山などが、赤く夕陽に映えて、ヤマヨモギの借景となって美しいです。
(2013.8.16[Fri])

車山高原の美しいノリウツギの花
 ノリウツギ(糊空木)は北海道から九州に分布する落葉の低木です。千島から樺太・中国などの東アジアに広く分布しています。植生地はとにかく多様で、乾燥した霧ヶ峰強清水や、八島ヶ原湿原の高層湿原の泥炭上にも見られます。これらの植生地に共通する点は、日照が十分にあたるということでしょうか。
 林縁や草原・岩礫地・湿原など植生圏は、余りにも広いのです。車山高原では6月頃に咲くウツギは、同じユキノシタ科の木ですが、ウツギはウツギ属、ノリウツギはアジサイ属です。ノリウツギは、日当たりのよい山野に生える先駆種で、樹高は通常2~3mでよく分枝します。つる性ではないですが、条件が悪いと地を這い、つる性に近い状態になります。
 空木と名がつきますが、幹や枝は空洞ではありません。中心部は白い髄になっています。
 車山・白樺湖・霧ヶ峰・八島ヶ原湿原では、8月に、本年に伸びた枝の先に、ガクアジサイのような大きな円錐花序をつけます。その円錐花序の縁に、装飾花と呼ばれる両性花を多数咲かせます。両性花には、萼や花弁もあります。美しいのですが極めて貧弱で形ばかりのものです。装飾花は萼が発達したもので、結実しません。大きな白い花弁状の萼を広げて目立たせ、虫を呼び寄せるのです。
 冬に独特の花殻が突き出て、種子と装飾花を残します。さく果は小さな楕円形で、上部が裂けて多数の細長い種子を散らします。種子には翼があり、長さ3~4mmほどです。それで遠くに拡散します。
 幹の内皮にはねっとりとした糊状の粘液があり、古くから和紙を作るときの糊材として利用されてきました。それが和名ノリウツギの由来です。
 幹は、あまり太くなりません。その幹からは爪楊枝や木釘が作られます。根っ子で作られるパイプも有名です。アイヌの人たちが好んで作ったといわれる、根の奇形的部分をモチーフに、その材料に工夫を凝らすパイプを「サビタのパイプ」と呼ばれ、愛煙家に珍重されたそうです。また、ステッキの用材として、堅くて丈夫で腐りにくいため愛用家も少なくはありません。
 民間療法では、樹皮や根の粘液が疥癬などの治療薬として使われました。
 強清水にある霧ヶ峰インターチェンジ(1,670m)の周辺は、江戸期以前からの入合地で、現代では諏訪市に所在する下桑原牧野農業協同組合の所有地として認められています。毎年秋に組合員総出で、霧ケ峰の2次草原の維持のため、先駆種のアカマツやズミなどの低木類・ノリウツギなどの灌木類などを伐採しています。
(2013.8.12[Mon])

霧ヶ峰高原のフシグロセンノウ(節黒仙翁)が最盛期
 ナデシコ科センノウ属の多年草で、車山では、その花期は8月~9月上旬です。茎は40~80cmになり、その主軸に花を一つ付け、左右への分岐を繰り返し、大きく美しい朱赤色の花を次々に咲かせます。径約5cmの朱赤色の花を、分枝した茎の先にまばらに数個ずつ付けますが、最盛期には、それが大きなまとまりとなり、野草とは思えない華やかさを演出します。
 日本の固有種で、本州・四国・九州の山地に分布し、林床や樹陰が適地で、半日蔭を好み、日照時間が短い車山樹叢の薄暗い中でも、けっこう咲いています。現在では、大門街道の白樺湖近くや霧ケ峰の踊場湿原(池のくるみ)周辺で僅かに見掛けます。
 同じナデシコ科のエンビセンノウは、長野県と北海道の山地林縁部だけに植生する、花弁が濃橙色の多年草で貴重種です。その名の由来は、花弁が4~5裂、その形がツバメの尾に似てることにより、燕尾仙翁と称されました。エンビセンノウは、環境省のレッドリストに載り絶滅寸前の種に指定されています。中国東北部およびその周辺にも自生しています。庭園に栽培されることもあるそうです。
 それにしても鹿の食害が凄まじいです。かつては八子ヶ峰や男女倉山や物見石の西側の雪不知あたりの樹叢でよくみかました。
 今では殆ど見掛けなくなりました。しかも、稀に見るフシグロセンノウが矮小化しています。鹿の食害に対する耐性でしょう。
 フシグロセンノウ実は卵球形のさく果で萼に包まれ、熟すと先が割れ、種がこぼれ小群落を形成します。その程度ですから、繁殖力はそれほど旺盛ではありません。
 フシグロセンノウの名の由来は、節の部分が茶色がかった紫黒色なので「節黒」と称され、「仙翁」は京都の嵯峨の仙翁寺で見出されたからだそうです。
 有力な異説として、茎の節が黒褐色で、中国の仙翁花(センノウゲ、センオウゲ)に似ているのが名前の由来とされています。仙翁花は、中国より京都・嵯峨の仙翁寺に1,300年頃に伝わり、文献に1,330年頃に初めて登場します。当山の『仙翁花』は花丈150cm前後とあり、室町文学に記される「草丈4~5尺」と一致します。
 原産地中国ですが、同花は既に絶滅しており、京都・嵯峨仙翁寺も廃寺となり、同花も既に途絶え、比較検証は不可能となっていました。それでも国内約10か所で栽培されている仙翁花は20~60cm前後の花丈で、野生種のフシグロセンノウと大きく異なり、岡山県美作市の大聖寺に残る『仙翁花』は1,000年の歴史を今に伝える地球上唯一の貴重な純潔種で秘花たる由縁です。
 八島ヶ原周辺一帯で、黒曜石を採集し加工しながら、狩猟・川魚漁や豊富な山菜を採取していた旧石器時代人も、フシグロセンノウをはじめヤナギラン・ワレモコウ・ノコギリソウ・オミナエシ・ツリガネニンジン・ヨツバヒヨドリなど、今の時季の花々の美しさに、時には見とれていたのでしょう。その一方、食物となるか、その調理方法をどうするか、懸命に考えていたでしょう。
2013.8.11[Sun]

信州 リョウブ坂
 リョウブ科リョウブ属の落葉広葉小高木で、日本列島の各地に自生しています。リョウブ属には64種あり、アジアとアメリカ大陸の熱帯・温帯に広く分布します。日本には一属一種しかありません。明るい二次林の尾根筋など、やや乾燥したところを好む先駆的な樹種です。車山の南麓に突き出すカシガリ山の尾根に群生しています。
 八島ヶ原湿原の広場から鷲ヶ峰に向かう登山道の入り口、その坂道の両脇に、並木のようにリョウブが自生しています。「リョウブ坂」と呼んでいます。樹種が多いために、様々な色彩を楽しむことができるのが、秋の「リョウブ坂」の魅力です。
 車山では7月下旬から、八島ヶ原湿原では8月上旬かけて、白い小さな花を枝先にたくさんつけます。カシガリ山は、今が見ごろでしょう。車山のペンション、レア・メモリーのアプローチが、現在「リョウブ坂」になっています。
 リョウブは総状花序に多数の花をつけ林立しますから、開花期には、山でも非常によく目立ちます。成木になると、樹皮が剥けて幹肌は美しくてスベスベして、サルスベリにとてもよく似てきます。
 リョウブの若葉は食べられるようで、飢饉に備えて、時の為政者が民に対して、樹木の保護育成と山畑・里畑・庭先など身近な周辺に植樹をするよう奨励したといわれています。リョウブと云う名前も、令法つまり、お上(かみ)が飢饉に備え救荒植物として植栽を命じた事に由来するそうです。
 花序の形から「竜尾」がイメージされ、それが転訛したともいわれています。
 未だ冬枯れの風情が残る早春に、明るい黄緑色の新芽を摘み集めます。茹でて水に晒してえぐ味を減らし、乾燥させて備蓄します。水で戻してから、稗や粟・麦などの雑穀に混ぜて炊いたのでしょう。現在では米と混ぜて炊く「令法飯(りょうぶめし)」にしています。
 栃餅は、灰汁抜きした栃の実をもち米とともに蒸してから搗き餅にしますから、「令法餅」も同様にして作られたのでしょう。黍の実をもち米に混ぜて蒸して搗いた黍餅も、栃餅と合わせて、今では信州ならではの最高の料理です。また大豆などと一緒に煮物にしたり、お浸しや和え物にしたりします。
 「熊笹茶」と同じで「令法茶」として愛飲されていたようです。高価な茶は、庶民生活には馴染めません。現代では、「令法茶」は最高に贅沢な飲料となっています。
 リョウブは「畑つ守」と呼ばれ、平安時代の能因法師が詠んだ句あります。
「里人や 若葉つむらん はたつもり みやまも今は 春めきにけり」
「今よりは 深山かくれの はたつもり 我うちはらふ 床の名なれや」
 リョウブの材は、ねばりが強く緻密なので背負子(しょいこ)・農具の柄・細工物・薪炭材にもなります。また幹肌が綺麗なので床柱に使われます。
 リョウブの花の蜜は、通常そう多く出ず、5年に1度だけ、ある程度の蜜を出すそうです。「5年に1度だけ採れる貴重な蜂蜜」と売り出されています。花からはなじんできた薫風が香り、その蜂蜜の酵素の働きにより、結晶化せず、なめらかな蜂蜜になるので人気があるそうです。
(2013.8.5[Mon])

車山高原にコオニユリが映える日
 すすきが優占する高原の日当りの好い車山高原に、コオニユリが力強く咲き誇っています。シモツケソウやオオバギボウシ・ノコギリソウ・サラシナショウマなどと八ヶ岳を借景にして、朝露に濡れ涼しげに咲いています。
 コオニユリは、車山高原や霧ヶ峰・美ヶ原などの草原で、今の時季に見られる美しい花です。樹木が茂り日照を塞ぐようになると消えていきます。日当りが良く比較的乾燥した所を植生にします。ススキなどイネ科の植物が丈を伸ばす前に、花茎を伸ばし太陽光を独占して花を咲かせます。葉が互生しているのが特徴です。
 オニユリに似ていますが、その確実な相違は、葉腋(ようえき)に出来る「ムカゴ」です。これは、オニユリだけに見られるもので、コオニユリには、ムカゴは出来ません。オニユリのムカゴは、花期が終わり、茎が枯れる頃に、そのまま地面に落ちて根を出し、翌年の春には発芽します。
 勿論、すべてのムカゴが発芽する訳ではありませんし、花が咲くまでには、それなりの年数を要します。しかし、その生命力は旺盛で、地面に落ちたばかりのムカゴには、既に根が出ている状態のものも、よく見掛けます。
2013.8.4[Sun]

車山高原に咲くウバユリ
 現在、車山高原の林下で目立つのがウバユリの花です。シラカバやズミの林内でも、木漏れ日が注ぐ開地などでもよく見られます。渓流沿いのミズナラ林のやや広めの下草緑地で、ウバユリに突然出合うと、その穏やかな気品と余韻にうたれて、一瞬時が止まります。高さ1m位には達します。一度花を咲かせると鱗茎ごと枯れてしまう一回繁殖型多年生植物です。ササやタケなども同様です。花を咲かせて「種子繁殖」するか、地下の鱗茎を伸ばす「栄養繁殖」かして種の保存をします。
 関東地方以西の本州、四国、九州の主に山地の林下や樹叢の中でも薄明るい開地に自生します。
 開花時の草丈は1mほどで、茎の先端に5輪程度の花を横向きに咲かせます。花びらは付け根まで大きく6つに裂けています。大きく開かずラッパ型になります。 色は緑色がかった白で、花びらの先端や内側の奥の方に赤褐色の斑点があります。
 地中にある球根(鱗茎)はデンプンを多く含み、縄文人も調理していた食用です。
 ウバユリ変種のオオウバユリはより大形で、10個~20個の多数の花をつけます。花はウバユリより大形で、9~13cmになります。本州中北部、北海道より南千島、樺太の落葉樹林内に生えています。北海道では低地性落葉広葉樹林内でよく見られる植物です。
 花後には楕円形の果実を付けます。中には種がぎっしり詰まっており、膨らんで枯れると、種は平べったく周りに薄いはねが付いており、風に乗って飛び散ります。
2013.8.3[Sat]

2012年 8月の車山日記

車山のウメバチソウ
 車山山頂から山麓までの遊歩道沿いでは、秋の花が美しく開花しています。山頂周辺ではウメバチソウやアサマフウロが咲き始めています。
 ウメバチソウの花は梅の花のようで、また梅鉢の紋に似ているから梅鉢草の名が付けられました。
 また、遊歩道沿いでは、ハナイカリやタチコゴメバグサ、車山山麓にあるビオトープではヒメシロネが咲き始めました。
 ヒメシロネは、高さ30から70cmになる多年草で、葉のつけ根に直径5mmほどの、小さな白色の唇形花をつけます。ヒメシロネの名は根が白く小型であることから姫白根と呼ばれました。
(2012.8.30[Thu])

ナンテンハギが満開
 車山高原のナンテンハギは8月中旬頃から咲き始め、今が最盛期となります。葉の形がナンテンに、花の形がハギに似ていることからナンテンハギと呼ばれています。
 高さ1m程度になる多年草です。一見、シモツケのように、丸く繁茂するので、灌木のように見えます。北海道から九州に広く自生します。車山でも車山湿原や樹叢の林縁部など、比較的日当たりのよい場所を好んでいます。
 葉の新芽は6月頃から出始め、アズキナと呼び食用にします。飛騨地方では、畑などで栽培している家も珍しくないそうです。
煮るときにアズキを煮る匂いがするところから、アズキナの山菜名が付いたようです。そのまま食べても柔らかく、ゴマの香りがほのかにします。新芽野菜としてサラダ、お吸い物には最適です。玉ネギやシラスと一緒にかき揚げにしても美味しいです。
2012.8.25[Sat]

ソバナが庭に咲いていました。
 キキョウ科ツリガネニンジン属です。山中の林内に生える多年草です。車山高原ではツリガネニンジンと同じ今時分に開花します。とてもきれいな紫色の釣鐘状の花です。岨菜の字が当てられます。岨・そまは切り立った崖という意味です。生育地を示すと言われています。車山でも通常、そういう場所でみられます。 
 蕎麦菜とも書きます。若葉が蕎麦のように柔らかく、山菜として食べたからでしょう。
 ソバ・蕎麦はタデ科の一年草です。葉にはルチン・クエルチトリンが含まれ、血管を丈夫にする働きがあるそうです。茎や葉は新芽野菜で、サラダにすると美味しいです。
(2012.8.24[Fri])

車山高原に秋の訪れ、ワレモコウ
 車山高原に咲く吾亦紅です。
 バラ科ワレモコウ属 花言葉は「愛慕」「移りゆく日々」です。
 北海道から九州、中国からシベリア・ヨーロッパに広く分布する多年草です。日本の山野でも、ごく普通に見られる植物で、冬は地上部が枯れて根の状態で越し、春に再び芽を出して高さ1mほどに生長します。夏から秋にかけて茎の先端に小花がたくさん集まって卵形を成した花穂を付けます。
 ワレモコウには花弁がなく、花序が暗紅色で、上部から咲き始める萼が花の彩りとなっています。花弁ではないので、長くその色が残ります。ワレモコウが秋遅くまで咲いているように見えますが、実際には花は終わり、萼のために花序であるように思えるのです。
 ワレモコウの先端には、よく赤トンボがとまります。車山高原らしい光景です。
(2012.8.23[Thu])

車山に咲くウバユリ
 山野の林下や草原など多少湿り気のある場所に自生するユリ科の多年草です。高さ1mにも達します。
 ウバユリは宮城県・石川県以西の本州・四国・九州に分布し、
国道152の大門街道やビーナス・ライン沿いに多く見られます。主に谷筋などの明るい落葉広葉樹林下に生育しますが、これだけ美しい花なのに路傍などにも咲いています。「うば」は、姥で、夏に花が咲くころには葉・歯がなくなることからウバユリ とよばれているようです。
 ウバユリは、春の芽を出した直後の若葉を山菜としています。
 秋に十分成長したウバユリの鱗茎も一枚ずつはがして湯がいて食べれば美味しいです。縄文時代にもよく食べられていたようです。
(2012.8.22[Wed])

車山のレア・メモリーの前庭に咲くキキョウ
 日本、朝鮮半島、中国原産で、日当たりのよい山野や原野の乾いた所を好み、美しい花を咲かせるキキョウ科キキョウ属の多年草です。キキョウ属はキキョウ1種からなり、園芸品種や変種は見られますが、他の種はありません。サワギキョウやモモバギキョウをはじめ、キキョウと付いた植物が多く見られますが、これらはキキョウ科でも別属の植物です。

 典型的な陽性植物です。日当たりのよい山野などに自生し、日本では万葉の昔から秋の七草として親しまれており、各地に名所も知られています。東福寺の塔頭・天得院や廬山寺といったキキョウの名所が有名ですが、車山高原・霧ヶ峰・美ヶ原では、自生のものは見たことがありません。
 和名は漢名の桔梗を音読みしただけです。
2012.8.4[Sat]

2011年 8月の車山日記
八島ヶ原湿原の八島ヶ池のヤマウルシ
 八島ヶ原湿原のヤマウルシです。ヤマウルシは秋の先頭を切って八島ヶ池の浮島で真っ赤に染まります。
 やがて八島湿原全体が"秋色"に染る草紅葉となります。静かで、自然の息づかいが聞こえるようです。
 沢渡に向う方ではススキの花穂が、太陽の光に美しく映えています。
(2011.8.31[Wed])

車山高原のマツムシソウは今が見頃
 車山山頂(標高1925m)ではアキノキリンソウが見頃をむかえています。特に車山湿原の遊歩道沿いに群生がみられます。車山頂から車山山麓へ向かう遊歩道沿いのマツムシソウも美しいです。
 車山樹叢内のハンゴンソウ・トリカブトも遊歩道沿いで楽しめます。
 車山高原・霧ヶ峰・旧御射山・八島ヶ原湿原のススキの花穂が大景観となっています。
 8/30 八島ヶ原湿原の八島ヶ池ではシツ ゲンヤマウルシの紅葉が始まりました。ごく僅かな期間で終わります。いよいよ八島ヶ原湿原に草紅葉の時季が訪れます。
(2011.8.30[Tue])

オオウバユリが咲きました
 8月5日、レア・メモリーのアプローチで撮影しました。オオウバユリです。美しい純白の大輪の花です。ユリ科ウバユリ属の多年草そうです
 毎年、レア・メモリーの庭には何株も育ちますが、オオウバユリは、芽を出してから6~8年目にようやく花を咲かせ、たくさん種をつけ、その後はすぐに枯れてしまいます。1回繁殖型の多年生植物です。花をつけた株は一生を終えますが、元株の脇に子株を育てています。鱗茎はデンプンを含み、食用にできます。古代人は食料にしていたようです。
(2011.8.5[Fri])

車山高原のオオバギボウシ
 車山高原のオオバギボウシの群生がいい!オオカメノキの花は、山アジサイのようで、素朴でありながら美しいです。車山湿原のアカバナシモツケも、素晴らしい景観です。
 マツムシソウが車山山頂標高1925mの付近で咲き始めました。これから高原一帯へと次第に降り下っていきます。ヤナギランも咲き始めてきました。八島ヶ原湿原が見頃を迎えています。
 現在、車山山頂から車山乗越に降りる遊歩道沿いのウスユキソウが見頃をむかえています。ホタルブクロも目立ちます。
(2011.8.2[Tue])

2010年 8月の車山日記
男女倉山、『男女倉道』、『男女倉越』
 八島湿原の北西には鷲ヶ峰(1797・9m)が聳えています。第1ピーク、第2ピークを越えて山頂にたどり着きます。山頂からは諏訪湖と八ヶ岳・富士山・南アルプス・御嶽山が一望され、まさに絶景です。鷲ヶ峰からビーナスラインを越えた南側に星ヶ塔・星ヶ台があり、その北方には更なる1つの峰を越えると和田峠に至ります。いずれも3万年を優に超える旧石器時代からの黒曜石の採掘場でした。現在でも出土しています。
 昭和27(1952)年にビーナスライン・観光道路開削工事をする際に松沢亜生(つぎお)が調査を行ない、多量の黒曜石の石器と遺物が露出しているのを発見し、はるか3万年を越える以前からの 先土器時代の遺跡が確認されました。「八島遺跡群」発掘の発端です。現在、10数箇所で先土器時代遺跡が発見されています。全体を総称して「八島遺跡群」といいます。さらに多くの旧石器時代の遺跡が埋もれていると考えられますが、遺跡全体の調査が不十分で、未発見の遺跡も多いので、遺跡分布状態は定かでありません。
 雪不知遺跡は八島湿原の北東、物見石(1780m)の上り口で、ミズナラ林の中、谷川が流れる標高1,650mに位置する日本で最高位にある遺跡です。
 八島湿原の鎌ヶ池の手前、現在は通行止めにされていますが、そこからは男女倉山(1776m)の山稜に添うように北東に渓流が流れ下っています。男女倉川です。長和町(旧和田村)の男女倉(おめくら)地籍を通り、和田峠から流れ下る和田川と合流し、大門峠から流れ下る大門川と大門で合流し依田川となり、大屋で千曲川に合流します。
 現在、男女倉川右岸にある男女倉公民館近くの『黒曜石の水』の湧水が連日盛況です。古代からの流通・生活道が、八島湿原を経由して、男女倉渓谷を下り、和田集落から佐久と上田両方面へ向かう主要道『男女倉道』を発展させてきたのです。
 諏訪の人々には、急峻な和田峠は、実用性を欠く難路で、むしろ砥川・東俣川渓谷から合倉沢や観音沢を通り八島に出るか、角間川を遡るか、いずれかでしょう。山浦方面の人々は上川から横河川や桧沢川を経て、池のくるみ、強清水、沢渡と登り続けたでしょう。
 男女倉山の尾根のピークは霧ヶ峰高原北端の一角にあって、山頂は長和町(旧和田村)に属しています。霧ヶ峰高原の他の山と同様、起伏の少ない穏やかな山容で、ピーク付近だけが急峻でピーク自体は平坦で広いです。山名は北麓の和田峠手前の男女倉地籍の由来と考えられますから、「ゼブラ山」はいただけません。男女倉山の頂上からは眼下に、『男女倉集落』とそれに至る『男女倉渓谷』がのぞけます。
 鷲ヶ峯の3つのピークが明らかに分かり、その北隣に独立した比較的高い山があります。以前に登った時、山頂付近一帯がドウダンツツジで覆われていました。いかに冷たい強風に晒されているかが、よく分かりました。背丈が極端に低いのです。この現象は、車山湿原のレンゲツツジと同じです。秋10月の紅葉シーズンが楽しみです。この山の奥隣に鉄塔が見えます。
 その付近に中山道最大の難所・和田峠があります。最大標高1,531mです。今では、大仰な来歴看板が有るばかりの訪れる人もない峠です。何度か登りましたが、人と出会ったことは一度もありません。ただ余りの急峻なのに驚き、江戸末期「和宮」が乗る籠をどうして運び上げ、運び下ろしたか、苦役にかり出される庶民の姿が、この峠でも彷彿され、風の音が悲鳴のように響いてきた記憶があります。
 聖山・冠着山・三才山・美ヶ原・鉢伏山・高ボッチ山から霧ヶ峰連峰と続く山岳部は、長野県の中央を分断し筑摩山地(ちくまさんち)と呼ばれています。これを越える事が、古代から課せられる物流の最大の難問でした。
 三才山トンネル・新和田トンネルが開通し、一部改善されているとはいえ、依然として残る課題ですが、人々は自らの知恵でルートの開設にベストを尽くしてきました。江戸時代の脇街道の縦横に及ぶ発展が、それを語ってくれます。
 和田峠の北隣が三峰山です。美しい円錐形の山容で、以前から憬れ登りたい山の一つです。通常、三峰山は単独の頂きと見られます。扉峠の駐車場からは、そうとしか見えないのです。鷲ヶ峯同様、安易に登ってはいけない事が、男女倉山の山頂からの風景が教えてくれました。まさに3つの峰が見えました。古代から続く山名のすごさが知られます。
 『男女倉山』は、絶対にゼブラ山としてはいけません。八ヶ岳の『冷山(つめたやま)』をガイドが『れいざん』と呼び、テレビが、それを報道しました。『冷山』は、和田峠・星ヶ塔・星糞山などと共に、野尻湖周辺の遺跡群同様、この信州の歴史と人類史発祥の地に深く関連します。決して、呼び名の重要性を軽視してはいけません。
 男女倉山の山頂にようやくたどり着いたときです。既に6名の「ガイド」とか「監視員」とか書かれたワッペンを腕に巻いている人たちがいました。この日は日曜日でしたから、休日返上で活躍していたようです。幾組とすれ違っています。『樺の丘』から『山彦尾根』、『南の耳』、『北の耳』は、霧ヶ峰高原を代表する地域です。その時「監視員」相互で、あの山は何かと尋ねる声がし、一番若い人が、年上を正すように「守屋山(1650m)」ですよというと、「監視員」の方は驚いていました。
 それを聴く私も、既に方向感覚が混乱していることを悟りました。男女倉山から南方の御射山の丘の後方に堂々と独立峰として浮かび上がっている「守屋山」の西側に市街地が見えたのです。「監視員」の集うそばに拠り、私自身、あの優容にして不動の姿は「守屋山」でしかないと思いながらも、その疑問を問いかけました。その答えにまた驚きました。あの町並みは辰野町に隣接する箕輪町だそうです。「赤そば」で有名で、2度ばかり出掛けています。
その西方には御嶽山、そのさらなる西方に穂高が望まれました。

 男女倉山からの下りも急ですが、アスピーテ火山特有の直ぐになだらかな台地「北の耳」に連なり、実に心地よいルートです。「北の耳」が分岐点で、戻れば八島湿原、右折すれば山彦尾根から車山高原、白樺湖へ通じます。「北の耳」から延びる稜線辺りが『男女倉越』で、鷹山のスキー場をなだらかに下ると、県道155(男女倉長門線)です。そのまま横切れば、黒曜石採掘地の『星糞峠(長門町)』、『虫倉山(1658m)』へ上ります。右折すれば大門街道に通じ、左折すれば男女倉集落から中山道へ出ます。
 「北の耳」から「物見石」は指呼の間で、なだらかな高原風景ですから「物見石」から沢渡に出る古道があったでしょう。
(2010.8.31[Tue])

車山高原の秋の花
 レア・メモリーの庭のユウガギク・シュロソウ・カニコウモリなど高原の秋の花がきれいです。「柚香菊」、ユズ(柚)の香りがする菊の意味だそうです。葉を摘んで揉んでも、私にはユズの香りはしなかった。
 日当たりのよい山野に群れて生える多年草で、地下茎を横に這わせて増え、その長さは1.5mくらいにもなるそうです。リュウノウギクやゴマナと共に秋を代表する野菊です。花期は長く8月頃より10月まで咲き続けます。ゴマナ(胡麻菜)は若苗が食用になることから名付けられました。
(2010.8.17[Tue])

車山に咲くワレモコウ
「吾も亦(また) 紅(くれない)なりと ひそやかに」 高浜虚子
 レア・メモリーの庭にワレモコウが咲き始めました。「吾木香」は、日本の木香の意で、その根がインド原産の「木香」に似ているから呼ばれました。それは菊科の根のことで、強い芳香があり、地楡(ちゆ)という生薬でタンニンを含み、止血剤として用いられています。
 暗紅色の可憐な花をつけますが、この花はなに色だろうか?その時々に茶色、こげ茶、紫などに見えます。初夏に茎を出して高さ1mほどになり、上部は枝を出してそれぞれの先端に穂状の花序を形成します。花期は8月~9月。花弁はなく、萼片は4枚で、それが暗紅色の花に見えるのです。
 花弁のある花は短期間に色あせますが、ワレモコウのように花弁がなく、萼が花の彩りと見えて、長くその色が残るのです。ワレモコウが秋遅くまで咲いているのではなく、実際には花は終わっており、萼のために花序があると錯覚するのです。
2010.8.8[Sun]

レア・メモリーの庭のオオウバユリ
 レア・メモリーの庭のオオウバユリの花が見事です。
 庭のワレモコウ・ナデシコ・ツリガネニンジン・ギボウシなどの高原の花もきれいです。車山高原も濃い緑色に染まり、シモツケソウ・タカネザクラ・ヤマホタルブクロなどの花が美しいです。
 車山湿原のシモツケソウが、今が見頃です。
(2010.8.5[Thu])

2009年08月の日記

今日の八島湿原の花・アサマフウロウ(浅間風露)
 山地の湿地などで希に見られる多年草で、草丈は20cm前後、小群生である場合が多いのです。フウロウソウの仲間では花弁も大きく、紅紫色で濃い色の脈が目立ち、フウロウソウ科の中でも、最も鮮やかな色合いの花を咲かせます。目立ちたがり屋のフウロウのあだ名があるぐらいです。雄しべが黒っぽいのが特徴です。浅間山麓に多いことから、「浅間風露」その名の由来になりました。
 八島湿原の木道沿いに、今盛んに咲いていますが、数は少ないのですが、鮮やかな色合いですから、印象には残ります。車山、霧ヶ峰でもフウロウソウ科は種類が多いです。花期が長いハクサンフウロウ(白山風露)はフウロウソウ科フウロウソウ属ですが、園芸種でよく見るゼラニウムもフウロウソウ科べラルゴニウム属ですから、よく見ると花形は似ています。

http://www7.ocn.ne.jp/~rare1/index.htm
(2009.8.31[Mon])

今日の車山湿原の花・コウリンカ
キク科の多年草で和名では、紅輪花と書きます。濃赤橙(せきとう)色の舌状花が輪状についていることに由来します。色茎は直立し、高さ50~60cm、開花は8~9月、茎頂に6~13個の頭花をやや散房状につけます。その舌状花は径3、4cmで、下方に垂れているのが特徴です。あたかも花の終わりに近い状態に見えてしまいます。事実、初めてコウリンカを見た時、もっと綺麗な花がないか探し回ってしまいました。絶滅危惧種ですから、なかなか美しい容姿の頃の出合とはなりませんが、今回は沢渡から車山湿原へ抜けるミズナラの林間で見かけました。一際目立つ色彩を放っています。
 通常、日当りのよい山地のやや湿った草原に生え、九州北部から朝鮮半島、中国東北部、東シベリアに分布しているそうです。
  諏訪地方では、盆花の一つです。
2009.8.30[Sun]

車山の夕顔料理
 夕顔は,インド・北アフリカを原産地とするウリ科のつる性1年草です。夕顔の実は、大きいもので高さ35~40cm、重さ7~8kgですが、更にそれを超える物もあります。いずれにしても、大きな果実が特徴です。同じく大きな実を実らせるウリ科の植物に瓢箪があります。夕顔とは同一種であり、夕顔がインドに伝わって栽培されるうち、苦味の少ない品種が食用のものとして分化、選別されたと考えられています。
 古事記にも記載があるようで、日本への伝来は古く、ただ、夕顔の実が野菜として、よく食べられるようになったのは、苦味の少ない「丸夕顔」が伝えられてからとされています。
 実は食用のほか容器としても用いられ、丸夕顔の実を細長い帯状に剥いて加工したものが干瓢で、ご存知のように、巻き寿司や汁物などに使われます。なぜ干瓢というかというと、夕顔の実は「ふくべ」(瓢)と呼ばれ、それを干したものだからです。干瓢の産地として有名なのは、栃木県と滋賀県です。
 沖縄で野菜として食されるのは、長夕顔で、若実のうちに食します。チブル(頭の意)と呼ばれ、干瓢にするよりも冬瓜と同じように煮物、汁物、炒め物、または生のまま胡麻和えなどにして食べるほうが一般的です。細く切り、しばらく塩水に晒して置き、海苔、鰹節、刻みネギなどを振り、ポン酢で食べれば、季節を味わう最高の料理となります。

夕顔の和風餡かけ  【作り方】
皮は厚いので、厚めに剥きますが、種を取り除けばわたも食べられます。荒く刻んで、シチューにすると、その味になじんで美味しくなります。本来、夕顔の実自体には、余り味はありません。ただ、濃くのある汁に入れて、とろ火でよく煮ると、実と汁双方に、微妙な深みのある味わいが生れます。
 1.夕顔は5cm幅で4画く切り、昆布と荒塩で茹でて置く。
 2.鍋にだし汁を加え1の夕顔を入れて、昆布茶で煮る。
 3.鳥挽肉をよく炒め上げ、ブイヨンを加えて煮て、薄口醤油と味醂で味を整える。       
 4.水溶き片栗粉でとろみをつけ、よく煮上げる。
 5.3の夕顔を器に盛り、4の汁をかけ、木の芽を天盛りにする。

夕顔と豚の角煮 【作り方】
 1)夕顔は6cm位の輪切りにし、皮をむき、種わたを取り除きます。
 2)1を2cmくらいの幅に切る。
 3)豚のバラ肉を4cm角にし、酒に浸し薄口醤油を振って10分以上置く。
 4)だし汁に3)を入れ、しょうが、青ネギのそつと一緒に火にかけ、煮立ったら弱火にして20分以上、ゆっくりと煮る。湯面に浮かぶ灰汁と油はこまめに取り除く。
 5)軟らかく煮えたら塩、薄口醤油、みりんを加え、更に煮る。
 6)2)の夕顔を加える。10分位煮立ちしたら、もう一度、塩、荒塩、砂糖で味を調え一煮立ちする。

 夕顔は初夏に白い花が咲きます。その名称は、夕方に咲き、朝にはしぼんでしまうところに由来しています。平安時代頃には既に栽培されていて、枕草子や源氏物語の中にも登場しています。
2009.8.29[Sat]

蕎麦はまだ  花でもてなす  信濃路
 蕎麦はまだ  花でもてなす  山路かな   松尾 芭蕉
 信濃では  月と仏と  おらが蕎麦    小林一茶
 9月・長月、月が美しいこの季節、秋の収穫期を間近に控えた蕎麦畑では、おびただしい数の白い花の群落を、信州の山路で見ることができます。

 成熟の時期を目前にして、心密かに豊作を祈念して、江戸時代の中期に活躍した俳人・松岡清蘿は、蕎麦の白い花を見て詠みます。

 月を実に むすびやすらん 蕎麦の花

 月光を浴びて点々と広がる蕎麦の畑を眺めていると、まるで月の光を吸って実ったかと思えるようです。
 味が良いとされる秋蕎麦は初霜の頃に収穫されます。収穫時期からおおよそ75日前に種蒔きをし、水はけの良い畑地が適地ですが、水田でも可能です。茅野市の北山地区では、水田栽培が盛んです。日本の農政が混迷しているせいかもしれませんが・・・

 蕎麦はタデ科の一年草で、日本のみならず、アジア内陸地帯、東欧、中欧、北欧、南欧山岳地帯、南北アメリカ他で栽培され、食用とされています。フランスのブルターニュ地方でも、蕎麦粉は日常的に食べられ、ガレットの料理はその代表的なものです。ロシアの蕎麦粉パンケーキと「カーシャ」とよばれる蕎麦がゆ、ポーランドの蕎麦プディングと蕎麦ピロシキなど、近年、料理好きの主婦に人気のレシピです。
 車山の麓、白樺湖を源流とする音無川左岸の柏原や湯川から収穫される蕎麦は、蕎麦切りで有名な戸隠の方でも人気があり、蕎麦粉で、よく使われているようです。
 蓼科山の天祥寺平を源流とする滝の湯川と横谷渓谷を流れる渋川の間、湯川の地籍にある蕎麦工場・渡辺製麺があります。手打ちでは、ありませんが、美味しいのが評判です。一度、是非、試食して下さい。なお、渡辺製麺のめんつゆも美味しいです。
 私も含めて、多くの蕎麦好きは、新蕎麦の季節ともなれば、味はもとより、特に蕎麦の香りを重視します。蕎麦は「蕎麦粉」「つなぎ」「水」で作られます。もちろん、つなぎの入らないものもあります。蕎麦粉とつなぎとして使用する小麦粉などの配合割合に応じて、10割蕎麦(生粉打ち蕎麦)、9割蕎麦、8割蕎麦(28蕎麦)、7割蕎麦、6割蕎麦などと名称が変わります。歴史は古く、うどんや寿司、天麩羅と並ぶ代表的な日本料理です。

 日本における蕎麦の歴史は1万年以上も前にさかのぼりますが、そば切りの歴史はわずか400年です。縄文草創期から江戸時代初期まで、蕎麦は、蕎麦がきや蕎麦焼き餅にして食べられていました。島崎藤村が生まれた中山道馬籠宿では、本陣であった生家でも、朝食は力餅あるいは芋焼き餅といわれた蕎麦焼き餅が、常食であったと島崎藤村はその著『力餅』の中で書いています。この馬籠宿では明治時代まで、また開田村や秋山郷のような山村では、第二次世界大戦後まで蕎麦焼き餅が主食になっていたようです。
 江戸初期、蕎麦切りが普及するとともに、そば食は年越し蕎麦・引越し蕎麦など晴の食とされるようになると、穀物としての蕎麦の地位が高まります。信州蕎麦の名声が江戸をはじめ、全国的に有名になるのは、江戸市中で蕎麦切りが売られた江戸中期以降だそうです。しかし、既に元禄期、江戸では更科蕎麦や更科粉の呼称が使われるようになっています。信州の蕎麦文化が全国的に、認知されていたことになります。
 蕎麦は信州では乗鞍高原の1,650m、チベット高原では4,400mまで作られています。そばの生産限界が人類の生活限界とみられています。野生の蕎麦は、中国の東北地域、青海・チベット高原、内蒙古高原、西南地域などに広く分布しているそうです。現在の主な栽培地は、西北、華北、西南地域などの標高が高く寒い山間部が主で、陝西省では全省で蕎麦を栽培しています。 その呉旗県の蕎麦栽培は600年余りの歴史があり、品質も良いので、「蕎麦の郷」と呼ばれています。「ドゥオ蕎麺」とは、蕎麦切りで、呉旗県でもっとも有名な地方料理となっています。切ったら茹でて、酸味と辛味のあるスープ・酸辣湯(サンラータン)と一緒に食べるそうです。
(2009.8.28[Fri])

8月24日の車山湿原
 車山高原、霧ヶ峰高原を華やかなピンクの色合いで染めていたシモツケソウも大分終わりかけています。ただ車山湿原だけが、未だきれいに群生しています。
 その近くにミゾソバの群落もあって感動しました。溝蕎麦と書きます。ソバの花に似ていること、実がソバに似ていることになどに由来しています。若葉は食用になります。おひたし、汁の実、天ぷらが一般的です。タデ科の50cm前後の目立たない一年草の花ですが、一面薄紅色に展開する光景は、車山湿原なればこその出合いでした。
 ここから西へ向うと沢渡への途中、ミズナラの林の中に、トリカブトがたくさん咲いています。八島湿原にも、男女倉山への途中の高燥な草原・山彦尾根にも多く見られますが、濃紫色のトリカブトの花が一番綺麗に見られるのが、林間の木漏れ日を浴びて、背丈を伸ばし咲き誇るこの場所です。
 そろそろ車山湿原のレンゲツツジが紅葉を始めていました。その遊歩道を挟んだ北側・蝶々深山の方面は、レンゲツツジが殆どない草原です。草丈が2m位の大型のハンゴンソウが2cmほどの黄色い頭花を沢山咲かせ、散房状に広げています。漢字では反魂草と書きます。死者の魂を呼び戻す意味で名付けられたそうです。草姿と葉の具合が、幽霊が手招きをしているように垂れて見えることから連想されたかもしれません。
 春先、若芽の堅そうな葉は取り除き、茎の先の方から、たっぷりのお湯に、ひとつまみの塩を入れて、5分位湯がきます。茹で上がりましたら、下の方から菜の方に向かって皮を剥きますが、細いハンゴンソウは必要ないでしょう。それも好み次第です。灰汁が、かなりきついので、水に浸して灰汁抜きをします。安い豚小間肉を90℃の湯に通したものと一緒に、甘酢味噌を付けながら食べるのが最高に美味しいです。料理の醍醐味がここにあります。野趣あふれる香りが、次第になれるとフキノトウ同様、癖になります。
 「広辞苑」によれば、ハンゴンソウを材料にする「反魂丹」は、食傷、腹痛などの特効薬として、江戸時代富山の薬売りが売り広めたそうです。その時代、芝田町のさかいや長兵衛が売り出した「田町の反魂丹」が有名になったそうです。
(2009.8.27[Thu])

八島湿原のオミナエシ
手に取れば 袖さへにほふ をみなえし この白露に 散らまく惜しも 万葉集

オミナエシは秋の七草の一つです。名前の「オミナ」は「美しい女性」の意味であり、同属のオトコエシに比べて、全草が優しいので女性にたとえたといわれています。漢字では女郎花と書きます。全国の草地や林縁の日当たりのよい場所に生える普通な植物でしたが、近年は少なくなった植物の一つです。
地方によっては盆花(ぼんばな)と称し、盂蘭盆(うらぼん)の時期、ススキに添えて切り花を仏壇や墓に供えられる風習があり、栽培もされています。北海道、本州、四国、九州の丘陵帯から山地帯の草原に生え、東アジアに広く分布しています。
日本最南端の高層湿原である八島湿原でも、約300種類の高山植物と共に自生しています。一周8キロの静かな花野を訪れて下さい。すでに秋の気配を漂わせています。現在、八島湿原周辺では、コオニユリ、ツリガネニンジン、アサマフウロ、ワレモコウ、シラヤマギクなどが満喫できます。
秋に野の花が咲き乱れる野原を「花野(はなの)」といい、花野は散策して眺めて楽しむものです。秋の七草は、それを摘んだり食べたりするものではありません。
(2009.8.26[Wed])

マルバダケブキ(丸葉岳蕗)  キク科メタカラコウ属
 多年草で、草丈は100 ?130cm、花の直径 8cmほどで、鮮やかな黄色で夏の花というイメージです。 蝶が好きな花のようで、昨日、八島ヶ原湿原を散策していると、アサギマダラがまといついていました。草の名は葉が丸くて蕗の葉に似ていて、山岳地帯に生えているところから付いたそうです。
 ヤマフキ(山蕗)も同じキク科の多年草ですが、フキ属です。その葉を見ない限り、どう見てもフキの仲間とは思えない、まるで外来の植物のように大きく派手な花を咲かせます。最初、八島ヶ原湿原の八島池周辺で群生しているのを見て、ここも遂に外来種に侵されたかと思いましたが、立派な日本の野草だそうです。(笑)
 マルバダケブキ(Ligularia dentata)は、本州や四国の亜高山帯の深山、やや湿ったところや林縁などに生育するそうですが、美ヶ原の王ヶ頭の頂上につながる道路脇、比較的乾燥した所でも見られました。
(2009.8.25[Tue])

霧ヶ峰高原の草原
 1992年9月に公表された環境庁の第4回自然環境保全基礎調査によれば、わが国の森林は国土の約67.0%を占めていますが、自然林は約18.0%にすぎず、その森林の多くは、二次林・里山あるいは人工林です。車山高原や霧ヶ峰などの二次草原は、明治・大正時代には、国土の約11%を占めていました。しかし当時、わずか約3%まで減少していたことが分かりました。
 霧ヶ峰高原の標高約1,500以上には、日本最大規模の亜高山帯の草原が広がっています。降水量の多い日本列島では、木曾駒ケ岳のような高山や海岸風衝地に成立する自然草原を除けば、人為的干渉がなければ森林化が始まります。
多くの草原は、かつて国土の11%を二次草原が占めていました。人々の営みの中で生じる火入れや採草、放牧などにより形成された二次草原であったのです。霧ヶ峰高原の草原も、諏訪の上桑原村などの採草利用により維持されてきた二次草原でした。生活資源による採草利用が止み、草原の森林化が進むと、秋の霧ヶ峰の草原景観を維持してきたツリガネニンジン、シモツケソウ、ウメバチソウ、リンドウなどは、日照不足で消滅していきます。
(2009.8.24[Mon])

車山湿原とワレモコウ
「吾も亦(また) 紅(くれない)なりと ひそやかに」 高浜虚子
 「吾木香」は、日本の木香の意で、その根がインド原産の「木香」に似ているから呼ばれました。それは菊科の根のことで、強い芳香があり、地楡(ちゆ)という生薬でタンニンを含み、止血剤として用いられています。
 暗紅色の可憐な花をつけますが、この花はなに色だろうか?その時々に茶色、こげ茶、紫などに見えます。初夏に茎を出して高さ1mほどになり、上部は枝を出してそれぞれの先端に穂状の花序を形成します。花期は8月~9月。花弁はなく、萼片は4枚で、それが暗紅色の花に見えるのです。
 花弁のある花は短期間に色あせますが、ワレモコウのように花弁がなく、萼が花の彩りと見えて、長くその色が残るのです。ワレモコウが秋遅くまで咲いているのではなく、実際には花は終わっており、萼のために花序があると錯覚するのです。
 現在の車山湿原では、シラヤマギク、クサレダマ、ベニバナシモツケ、ワレモコウ、チダケサシなどが咲いています。ことに、ベニバナシモツケソウは、一帯に群生して赤く染め上げるほどにみごとです。
2009.8.23[Sun]

現在の車山高原の松虫草
 8~9月に咲き、乾いた草原に生える越年草です。花径5cm大で花弁に特徴があります。菊同様、小さな花がたくさん集まったもので、周りの花びらが特に大きい。高原の日当たりの良い草地に生え、初秋の高原で出会う花で、一段と美しいピンクががった藤色が、爽やに目立ちます。
 草丈30cm~80cm程度で、花の痕は海坊主のような形になります。それが、仏具の伏鉦(ふせがね:俗称「松虫鉦」)似ているところから呼ばれるようになりました。また虫の音にも 由来し、チンチロリンとかわいい声で、松虫(平安時代の旧名は鈴虫)が秋に鳴く頃に咲くからとの説もあります。
 車山山頂から夫婦岩まで下ります。 近世まで続いた祭祀遺跡があります。 おそらく猟師がその犠牲となった鳥獣の霊を、車山を遡って天空に飛翔させようとして祈ったのでしょう。ここが霧ケ峰高原の最重要な岐路、車山乗越です。左の道は、車山湿原から車山肩に向かいます。松虫草の群生地です。8月中旬頃から咲き始めます。夏場は、途中の薄紅色のシモツケソウが有名です。
 右の道は沢渡から八島湿原に至ります。男女倉山の西側の山裾は男女倉道で、中山道和田宿へ抜け、近代まで重要な山道でした。和田峠越えは、急峻ですから、山浦の人々や上諏訪町周辺の商人も、ここを越え上田、松代へ出たようです。
 車山乗越から殿城分岐から北は、殿城山、標高1,800mの円錐形の小さな山頂へ出ます。紅葉の季節は、特にお勧めです。紅葉の最盛期は10月中旬頃でしょう。ダケカンバの黄葉とヤマブドウやナナカマドの紅葉が美しいです。特に、この辺には、殆ど人が立ち入らない穴場ですから、ノビタキも側まで来て囀ってくれます。
2009.8.22[Sat]

長寿更科  本格手打ち蕎麦
 本格手打ち蕎麦、信州手打ちそば店が、長野県茅野市米沢にあります。その名が「長寿更科」です。諏訪インターから、車山、蓼科、白樺湖方面に向うビーナスライン沿い左手、塩沢入口にあります。諏訪インターから車で約30分です。道路際に大きな看板がありますのですぐに分かると思います。
 私どもは、塩沢の温泉「塩壷の湯」へ、行き帰りに時々この長寿更科さんに寄っておそばを頂いております。家内といつもおいしいお蕎麦と喜んでいます。特に10割の「ざる蕎麦」が好物です。私は大盛りで、妻は普通盛りです。横浜に住んでいる娘が来ると、「天ぷらの盛り合わせ」を追加します。この店で栽培をしている野菜を揚げています。もちろん海老が2本も付いています。娘の好物です。
 営業時間
 午前11時~午後2時30分、午後5時~午後8時までです。

 夏季・冬季・土・日は
 午前11時~午後8時まで、定休日:火曜日
  電話 0266-73-6606
 「長寿更科」から、車山高原まで:25分、蓼科湖まで:10分、白樺湖まで:15分、麦草峠:40分(車利用の所要時間)ですから、立ち寄って食べるに都合がよいです。
(2009.8.21[Fri])

車山の断層
霧ヶ峰高原は、霧ヶ峰火山群の最末期に噴出してできた車山を主峰としています。霧ヶ峰火山群は北西から南東方向に連なる諸峰から構成され、車山は三峰山、鷲ヶ峰に次いで形成されました。東が白樺湖・大門峠、北から西にかけて殿城山・蝶々深山・男女倉山・大笹峰・鷲ヶ峰、南は西から東にかけては野田原・北大塩峠、朝倉山に及び、標高1,000m~1,900mで南に緩傾斜の広大な高原となっています。
車山の北側の山彦尾根は急陵な斜面がつづいて、断層崖と見られています。また車山山頂周辺の多くの谷の植物に覆われた岩塊群は、最終氷期の周氷河作用による面的削剥が行われたとみられています。約7万年前からの最終氷期の後半、約3万年前から1万年前の最寒冷期には、日本列島では年平均気温の等温線は、現在よりも約1,500m低下したといわれています。まさに最終氷期の車山の大地は凍土でした。水は氷になると体積が増えるので、岩石中に含まれる水分は凍ると岩を砕き砂礫化させ、土中の氷は、砂礫が持ち上げ、氷が溶けるときに移動させます。この水分の凍結融解作用によっておこる諸現象を「周氷河現象」というそうです。
 また踊場湿原の地下には断層が走っており、この断層は車山の南側を通って白樺湖方面に伸びています。車山から白樺湖にかけて、断層上で大量の地下水の汲み上げが始まって久しい、蛙原や踊場湿原の枯渇を招いた原因でしょうか?
2009.8.1[Sat]


もどる
バックナンバーリスト
Powered by HL-imgdiary Ver.3.00 Beta