車山高原マツムシソウ(25年8月20日撮影) | |||||||||||||||
盛夏の車山高原 蓼科高原から美ヶ原まで数々のリゾートエリアを結ぶビーナスライン!特に白樺湖大門峠から車山高原・霧ヶ峰・八島ヶ原・美ヶ原高原のコースは格別なドライブラインです。ビーナスライン沿いの車窓から眺める景色は、殆ど樹木にさえぎられず、蓼科山の八ヶ岳・仙丈岳の南アルプス・木曽駒ケ岳の中央アルプス・穂高連峰の北アルプス・白樺湖や諏訪湖など、山岳風景と湖が遠望できます。ニッコウキスゲ・ヤナギラン・シモツケソウなど高原植物の群落・レンゲツツジの樹叢・美ヶ原高原牧場など変化に富んだ景色が、見事なほど、ゆったりした風景の中にとけこんでいます。 車山の噴火によって育まれた車山高原の西南麓を特に霧ケ峰高原と呼びます。一帯に広がる草原台地は、初夏より一段と濃淡を極めた万緑のキャンバスとなり、色とりどりの高山植物の群落が、時季折々、塗り替えていきます。 車山高原のニッコウキスゲの見頃は7月中旬~下旬です。 ⇒盛夏!車山高原に咲く花々 |
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2015年 8月の車山高原日記
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2014年 8月の車山高原日記
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車山高原のコシアブラの花 |
ウコギ科のコシアブラの樹皮は灰白色で、白い斑が交じるのが特徴です。花は晩夏に、ウコギ科の仲間であるタラノキ属の多年草のヤマウドと同時期に、同じように長い柄のある散形花序を伸ばして、小さな花を多数つけます。 その実は熟すと黒くなり、サンショウの実をもっと優しくしたような味わいと香りがあります。ソバ・豆腐・ステーキなどの薬味に最適です。 秋の落葉前に、葉の葉緑素が抜けて、薄い透明な黄色に染まります。樹高が高く、陽射しを透かして美しく輝くので、林の中でも目立ちます。 コシアブラの和名は「漉し油」を意味し、この樹脂の利用に由来するのです。幹を傷つけ樹脂を取り、漉して樹脂に加工を施すと黄金色に輝く塗料ができます。古来「金漆(ごんぜつ・こんしつ)」と呼ばれ、工芸用塗料として珍重されました。ただ長くその加工法は忘れ去られ、断絶していたそうです。 NHKの『ためしてガッテン』で「もやし酢」の レシピが公表されました。 材料は、穀物酢 200ml ・水200ml・ 砂糖大さじ3・塩大さじ1・もやし1袋です。作り方は、もやしを湯通し、空き瓶に入れ、残りの材料をすべて加えます。 春山菜の季節に、この「もやし酢」に、コシアブラの新芽を生のまま、マリネ風に漬けるのです。もやしと一緒に食べます。極めて美味しいです。 コシアブラは湯通しすると、逆に苦みとえぐ味が生じます。生のまま利用する事がポイントです。 (2013.8.30[Fri])
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八島ヶ原湿原のアサマフウロがお勧めです |
浅間風露(アサマフウロ)はフウロソウ科フウロソウ属の多年草です。その和名の由来は、浅間山麓に多いことに由来します。 「風露」にはグンナイフウロ・ハクサンフウロ・タチフウロなど数々ありますが、アサマフウロが最も大型で、しかも鮮やかな色合の美しい花をつけます。 アサマフウロは、環境省の2,007年レッドリストで、「現時点では絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては『絶滅危惧』に移行する可能性のある種」として準絶滅危惧(NT)に登録されました。 長野県の中部高原でも、その群生地は極めて限られていますが、植生域では割と群落として見られます。八島ヶ原湿原の八島ヶ池・鬼ヶ泉水にかけての群生は、ユウガギク・シモツケソウ・ヤナギランなどの艶やかな花の群落に圧倒された後に出合う感動ですから、思わず驚感する声が木道ですれ違う方々の挨拶代わりとなります。 生薬として有名なゲンノショウコもフウロソウ科です。そのお蔭でしょうか、鹿の食害を免れたアサマフウロが、車山山頂付近でもみられます。佐久市の東側に位置する荒船高原でも、盛夏を迎えた熱い最中に美しいアサマフウロの花が咲き競います。 アサマフウロは本州の中部地方に分布し、高原や亜高山帯の湿った草地などを適地にします。 草丈は20cm前後で、全草に微毛があります。通常、八島湿原での開花時期は8月中下旬から9月上旬です。フウロソウ科の植物の開花期間は比較的長く感じられます。花の色は濃い紅紫色で、その真ん中に白い軟毛が生え、花径は3cm位です。花びらは5枚、萼片も5枚です。葉の表裏の脈上に短い毛が密生しています。 八島湿原の草紅葉の主な草本類は、アサマフウロなどフウロソウ類やヤナギラン・ヨツバヒヨドリなどが主体で、レンゲツツジやマユミが背景色となり染まります。ノリウツギは、その生息地が八島湿原という寒冷地ですから、装飾花の萼片がいつまでも残り、それが寒気を迎えると花弁状に変化して、やがて白色から淡く赤色を帯びて秋遅くまで残ります。 (2013.8.25[Sun])
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今、秋の高原の花が一番美しい八島湿原 |
八島ヶ原湿原の標高は1,630mです。今が一番華やかに、初秋の花の数々が咲き競っています。 1つ1つのかたまりが大きい、ひつじ雲の隙間から洩れる陽射しは穏やかで、散策する者には快適でした。 八島ヶ原湿原を見下ろす高台の入口で、ガクアジサイのようなノリウツギの白い花群が北向きの斜面一帯を占拠していました。その先の階段付近からはトネアザミが荒々しく咲き乱れています。鎌ヶ池と遠目に男女倉山が見られます。 もう少し下るとマルバハギが木道沿いに、ハイカーの膝あたりの位置で紅紫色の蝶形の小さな花をたくさん結び、黄色のオミナエシと交互に花道を飾ってくれました。八島ヶ池近くになると背丈の低い淡い薄紫のタチフウロの群生が、何ヵ所にも広がっていました。 鷲ヶ峰方向の高い斜面では、ハンゾウソウの群落もみられました。 やがて濃い朱色が鮮やかなアサマフウロが目立ちはじめると、八島ヶ池の岸辺一帯に大展開する光景と出合います。山野草を観賞する醍醐味です。 鬼ヶ泉水に進むとシモツケソウが終わり掛けていましたが、ヤナギランの貴婦人ぶりは今だ健在です。ワレモコウの盛期で、赤褐色の花穂が咲き乱れていました。 鎌ヶ池の周辺では、ウメバチソウが目立ちましたが、木道から遠いため、その小さな白い花を充分に観賞できませんでした。薄紫のマツムシソウの花が大きく感じられました。シシウドの大きな傘形の白色花を通して眺める車山は、なだらかな山容でした。 (2013.8.23[Fri])
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車山に秋の兆し、ツリガネニンジン |
ツリガネニンジン(釣鐘人参)は、初秋の草原を代表する野草の一つです。レア・メモリーのテラスで、そろそろ夕方近くなると吹きはじめる秋風に、鈴なりに付ける釣鐘の花がゆらゆらと揺れていました。 レア・メモリーの庭だけでも数種の変種があります。花柱を抽出し、その先に多数の淡紫色の鐘形の花を下向きに輪生させます。丘陵帯から山地帯の日当たりのよい草原や畦など、日本全土に自生しています。樺太・南千島でもみられ、世界に約70種、日本では約15種分布しているそうです。キキョウ科の多年草でツリガネソウともいわれます。茎は高さ0.4~1m、折り取ると乳液が出ます。車山高原では8中旬~9月と花期は長いです。 名の由来は、花が釣鐘形で、根が太くチョウセンニンジンに似ていることによります。諏訪地方では、4月~5月頃、新芽をミネバと呼び食用にします。えぐ味も灰汁もありません。やや強めに湯がけば一般野菜と変わりません。漢方では、根を乾燥したものは沙参(しゃじん)と呼び、強壮・去痰剤に用いるそうです。 ツリガネニンジンが咲く頃、同じ山裾にツリガネニンジンに良く似たソバナや、イワシャジンが花を付けます。ソバナの漢字は岨菜で岨(切り立った崖)に生え、若芽が食べられるのでソバナと呼ばれるといわれています。イワシャジンの漢字は岩沙参で、沙参とは「ツリガネニンジン(釣鐘人参)」の慣用漢名です。岩に生えるツリガネニンジン(漢名で沙参)の意味です。ツリガネニンジンやソバナのように何処にでも見られる花ではありませんが、ツリガネニンジン・ソバナ・イワシャジンは同じキキョウ科ツリガネニンジン属の花です。 夏の終わり頃から秋にかけて高原の初秋風にそよぐ孤高にして清楚な花、ツリガネニンジンは車山高原らしい風情で揺らいでいます。 (2013.8.17[Sat])
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踊場湿原(いけのくるみ)とヤマヨモギ |
霧ヶ峰の高原台地の大部分は山地草原です。八島ヶ原湿原・車山湿原・踊場湿原など一部は湿原となっています。この台地に植生する植物のほとんどが草本類ですが、レンゲツツジ・ノリウツギ・オオカメノキなど低木類やシラカバ・ミズナラ・アカマツなどの高木も混生しています。近年では、車山樹叢のようにミズナラの森林も目立ち、特に踊場湿原からカボッチョ山付近のイモリ沢からカシガリ山の西麓一帯では、アカマツが優占しています。車山高原のビーナスライン沿いでは、ニセアカシアの繁殖が際立ちます。 特に車山高原は山地帯上部から亜高山帯下部にあたり、江戸時代初期から活発となる森林化防止の山焼きが、現在まで続いています。そのため典型的な二次草原として、高原植物・湿原植物が豊富に植生するようになり、そのため明治時代から植物学者の目にとまった新種33種など、珍種の発見例が数多くありました。 ただ今年の4月下旬、諏訪市長を初めとする諏訪市域の下桑原・小和田など、かつて入会権を保有していた財産区の住民が、毎年恒例の山焼きを行いました。時に強風注意報が出されていた最中でしたから、山焼きの勢いを計画通りに抑制できず、火勢は留まることなく拡散し、自衛隊の出動となり、天然記念物の踊場湿原から、南は茅野市の米沢・東側はカシガリ山の西麓にまで延焼し、漸く風向きが変わり、鎮火していきました。カボッチョ山はほぼ全焼しました。その間のレンゲツツジはほぼ全滅状態です。 それでも8月にはマツムシソウ・アザミ類・チダケサシ・ツリガネニンジンなどが美しい小群落を作っています。 踊場湿原は車山の西南麓にあり、周辺は車山・強清水・カボッチョ山などで囲まれた断層線上に発達した湿原です。車山斜面からイモリ沢の清流が湧き、アシクラ池を形成します。他の周辺はヨシ・イワノガリヤス・オニナルコスゲなどが優占する低層湿原群落を形成します。池の中にはヤマアゼスゲの谷地妨主が発達し特異な景観を演出しています。その谷地妨主の頭が、4月のゴールデンウィークの大失火で、アシクラ池周辺の東側で多くが黒く焼かれていました。 踊場湿原の高層湿原は池の西側にみられ、泥炭層は最深部で2.3mあります。草本類の群落は八島ヶ原湿原と変わりませ んが、ハナゴケ群落はみられません。 八島ヶ原湿原では、シシウドの白色・クサレダマの黄色・ヤナギランの赤紅色・コウリンカの赤黄色など、今の時季、色彩が豊富で見応えがあります。やさしく視界の中に入ってきます。高原では、涼しげな風にそよぐ薄紫色の花マツムシソウが、秋の訪れを既に告げています。 踊場湿原周辺でよく見られる大形のヨモギは、ヤマヨモギで大型の多年草で「オオヨモギ」ともいわれています。山地陽性植物の典型で、特に草原山地に繁殖するものは、茎が太く直立し、意外に踊場湿原とその後背にあるカボチョ山などが、赤く夕陽に映えて、ヤマヨモギの借景となって美しいです。 (2013.8.16[Fri])
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車山高原の美しいノリウツギの花 |
ノリウツギ(糊空木)は北海道から九州に分布する落葉の低木です。千島から樺太・中国などの東アジアに広く分布しています。植生地はとにかく多様で、乾燥した霧ヶ峰強清水や、八島ヶ原湿原の高層湿原の泥炭上にも見られます。これらの植生地に共通する点は、日照が十分にあたるということでしょうか。 林縁や草原・岩礫地・湿原など植生圏は、余りにも広いのです。車山高原では6月頃に咲くウツギは、同じユキノシタ科の木ですが、ウツギはウツギ属、ノリウツギはアジサイ属です。ノリウツギは、日当たりのよい山野に生える先駆種で、樹高は通常2~3mでよく分枝します。つる性ではないですが、条件が悪いと地を這い、つる性に近い状態になります。 空木と名がつきますが、幹や枝は空洞ではありません。中心部は白い髄になっています。 車山・白樺湖・霧ヶ峰・八島ヶ原湿原では、8月に、本年に伸びた枝の先に、ガクアジサイのような大きな円錐花序をつけます。その円錐花序の縁に、装飾花と呼ばれる両性花を多数咲かせます。両性花には、萼や花弁もあります。美しいのですが極めて貧弱で形ばかりのものです。装飾花は萼が発達したもので、結実しません。大きな白い花弁状の萼を広げて目立たせ、虫を呼び寄せるのです。 冬に独特の花殻が突き出て、種子と装飾花を残します。さく果は小さな楕円形で、上部が裂けて多数の細長い種子を散らします。種子には翼があり、長さ3~4mmほどです。それで遠くに拡散します。 幹の内皮にはねっとりとした糊状の粘液があり、古くから和紙を作るときの糊材として利用されてきました。それが和名ノリウツギの由来です。 幹は、あまり太くなりません。その幹からは爪楊枝や木釘が作られます。根っ子で作られるパイプも有名です。アイヌの人たちが好んで作ったといわれる、根の奇形的部分をモチーフに、その材料に工夫を凝らすパイプを「サビタのパイプ」と呼ばれ、愛煙家に珍重されたそうです。また、ステッキの用材として、堅くて丈夫で腐りにくいため愛用家も少なくはありません。 民間療法では、樹皮や根の粘液が疥癬などの治療薬として使われました。 強清水にある霧ヶ峰インターチェンジ(1,670m)の周辺は、江戸期以前からの入合地で、現代では諏訪市に所在する下桑原牧野農業協同組合の所有地として認められています。毎年秋に組合員総出で、霧ケ峰の2次草原の維持のため、先駆種のアカマツやズミなどの低木類・ノリウツギなどの灌木類などを伐採しています。 (2013.8.12[Mon])
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霧ヶ峰高原のフシグロセンノウ(節黒仙翁)が最盛期 |
ナデシコ科センノウ属の多年草で、車山では、その花期は8月~9月上旬です。茎は40~80cmになり、その主軸に花を一つ付け、左右への分岐を繰り返し、大きく美しい朱赤色の花を次々に咲かせます。径約5cmの朱赤色の花を、分枝した茎の先にまばらに数個ずつ付けますが、最盛期には、それが大きなまとまりとなり、野草とは思えない華やかさを演出します。 日本の固有種で、本州・四国・九州の山地に分布し、林床や樹陰が適地で、半日蔭を好み、日照時間が短い車山樹叢の薄暗い中でも、けっこう咲いています。現在では、大門街道の白樺湖近くや霧ケ峰の踊場湿原(池のくるみ)周辺で僅かに見掛けます。 同じナデシコ科のエンビセンノウは、長野県と北海道の山地林縁部だけに植生する、花弁が濃橙色の多年草で貴重種です。その名の由来は、花弁が4~5裂、その形がツバメの尾に似てることにより、燕尾仙翁と称されました。エンビセンノウは、環境省のレッドリストに載り絶滅寸前の種に指定されています。中国東北部およびその周辺にも自生しています。庭園に栽培されることもあるそうです。 それにしても鹿の食害が凄まじいです。かつては八子ヶ峰や男女倉山や物見石の西側の雪不知あたりの樹叢でよくみかました。 今では殆ど見掛けなくなりました。しかも、稀に見るフシグロセンノウが矮小化しています。鹿の食害に対する耐性でしょう。 フシグロセンノウ実は卵球形のさく果で萼に包まれ、熟すと先が割れ、種がこぼれ小群落を形成します。その程度ですから、繁殖力はそれほど旺盛ではありません。 フシグロセンノウの名の由来は、節の部分が茶色がかった紫黒色なので「節黒」と称され、「仙翁」は京都の嵯峨の仙翁寺で見出されたからだそうです。 有力な異説として、茎の節が黒褐色で、中国の仙翁花(センノウゲ、センオウゲ)に似ているのが名前の由来とされています。仙翁花は、中国より京都・嵯峨の仙翁寺に1,300年頃に伝わり、文献に1,330年頃に初めて登場します。当山の『仙翁花』は花丈150cm前後とあり、室町文学に記される「草丈4~5尺」と一致します。 原産地中国ですが、同花は既に絶滅しており、京都・嵯峨仙翁寺も廃寺となり、同花も既に途絶え、比較検証は不可能となっていました。それでも国内約10か所で栽培されている仙翁花は20~60cm前後の花丈で、野生種のフシグロセンノウと大きく異なり、岡山県美作市の大聖寺に残る『仙翁花』は1,000年の歴史を今に伝える地球上唯一の貴重な純潔種で秘花たる由縁です。 八島ヶ原周辺一帯で、黒曜石を採集し加工しながら、狩猟・川魚漁や豊富な山菜を採取していた旧石器時代人も、フシグロセンノウをはじめヤナギラン・ワレモコウ・ノコギリソウ・オミナエシ・ツリガネニンジン・ヨツバヒヨドリなど、今の時季の花々の美しさに、時には見とれていたのでしょう。その一方、食物となるか、その調理方法をどうするか、懸命に考えていたでしょう。 (2013.8.11[Sun])
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信州 リョウブ坂 |
リョウブ科リョウブ属の落葉広葉小高木で、日本列島の各地に自生しています。リョウブ属には64種あり、アジアとアメリカ大陸の熱帯・温帯に広く分布します。日本には一属一種しかありません。明るい二次林の尾根筋など、やや乾燥したところを好む先駆的な樹種です。車山の南麓に突き出すカシガリ山の尾根に群生しています。 八島ヶ原湿原の広場から鷲ヶ峰に向かう登山道の入り口、その坂道の両脇に、並木のようにリョウブが自生しています。「リョウブ坂」と呼んでいます。樹種が多いために、様々な色彩を楽しむことができるのが、秋の「リョウブ坂」の魅力です。 車山では7月下旬から、八島ヶ原湿原では8月上旬かけて、白い小さな花を枝先にたくさんつけます。カシガリ山は、今が見ごろでしょう。車山のペンション、レア・メモリーのアプローチが、現在「リョウブ坂」になっています。 リョウブは総状花序に多数の花をつけ林立しますから、開花期には、山でも非常によく目立ちます。成木になると、樹皮が剥けて幹肌は美しくてスベスベして、サルスベリにとてもよく似てきます。 リョウブの若葉は食べられるようで、飢饉に備えて、時の為政者が民に対して、樹木の保護育成と山畑・里畑・庭先など身近な周辺に植樹をするよう奨励したといわれています。リョウブと云う名前も、令法つまり、お上(かみ)が飢饉に備え救荒植物として植栽を命じた事に由来するそうです。 花序の形から「竜尾」がイメージされ、それが転訛したともいわれています。 未だ冬枯れの風情が残る早春に、明るい黄緑色の新芽を摘み集めます。茹でて水に晒してえぐ味を減らし、乾燥させて備蓄します。水で戻してから、稗や粟・麦などの雑穀に混ぜて炊いたのでしょう。現在では米と混ぜて炊く「令法飯(りょうぶめし)」にしています。 栃餅は、灰汁抜きした栃の実をもち米とともに蒸してから搗き餅にしますから、「令法餅」も同様にして作られたのでしょう。黍の実をもち米に混ぜて蒸して搗いた黍餅も、栃餅と合わせて、今では信州ならではの最高の料理です。また大豆などと一緒に煮物にしたり、お浸しや和え物にしたりします。 「熊笹茶」と同じで「令法茶」として愛飲されていたようです。高価な茶は、庶民生活には馴染めません。現代では、「令法茶」は最高に贅沢な飲料となっています。 リョウブは「畑つ守」と呼ばれ、平安時代の能因法師が詠んだ句あります。 「里人や 若葉つむらん はたつもり みやまも今は 春めきにけり」 「今よりは 深山かくれの はたつもり 我うちはらふ 床の名なれや」 リョウブの材は、ねばりが強く緻密なので背負子(しょいこ)・農具の柄・細工物・薪炭材にもなります。また幹肌が綺麗なので床柱に使われます。 リョウブの花の蜜は、通常そう多く出ず、5年に1度だけ、ある程度の蜜を出すそうです。「5年に1度だけ採れる貴重な蜂蜜」と売り出されています。花からはなじんできた薫風が香り、その蜂蜜の酵素の働きにより、結晶化せず、なめらかな蜂蜜になるので人気があるそうです。 (2013.8.5[Mon])
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車山高原にコオニユリが映える日 |
すすきが優占する高原の日当りの好い車山高原に、コオニユリが力強く咲き誇っています。シモツケソウやオオバギボウシ・ノコギリソウ・サラシナショウマなどと八ヶ岳を借景にして、朝露に濡れ涼しげに咲いています。 コオニユリは、車山高原や霧ヶ峰・美ヶ原などの草原で、今の時季に見られる美しい花です。樹木が茂り日照を塞ぐようになると消えていきます。日当りが良く比較的乾燥した所を植生にします。ススキなどイネ科の植物が丈を伸ばす前に、花茎を伸ばし太陽光を独占して花を咲かせます。葉が互生しているのが特徴です。 オニユリに似ていますが、その確実な相違は、葉腋(ようえき)に出来る「ムカゴ」です。これは、オニユリだけに見られるもので、コオニユリには、ムカゴは出来ません。オニユリのムカゴは、花期が終わり、茎が枯れる頃に、そのまま地面に落ちて根を出し、翌年の春には発芽します。 勿論、すべてのムカゴが発芽する訳ではありませんし、花が咲くまでには、それなりの年数を要します。しかし、その生命力は旺盛で、地面に落ちたばかりのムカゴには、既に根が出ている状態のものも、よく見掛けます。 (2013.8.4[Sun])
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車山高原に咲くウバユリ |
現在、車山高原の林下で目立つのがウバユリの花です。シラカバやズミの林内でも、木漏れ日が注ぐ開地などでもよく見られます。渓流沿いのミズナラ林のやや広めの下草緑地で、ウバユリに突然出合うと、その穏やかな気品と余韻にうたれて、一瞬時が止まります。高さ1m位には達します。一度花を咲かせると鱗茎ごと枯れてしまう一回繁殖型多年生植物です。ササやタケなども同様です。花を咲かせて「種子繁殖」するか、地下の鱗茎を伸ばす「栄養繁殖」かして種の保存をします。 関東地方以西の本州、四国、九州の主に山地の林下や樹叢の中でも薄明るい開地に自生します。 開花時の草丈は1mほどで、茎の先端に5輪程度の花を横向きに咲かせます。花びらは付け根まで大きく6つに裂けています。大きく開かずラッパ型になります。 色は緑色がかった白で、花びらの先端や内側の奥の方に赤褐色の斑点があります。 地中にある球根(鱗茎)はデンプンを多く含み、縄文人も調理していた食用です。 ウバユリ変種のオオウバユリはより大形で、10個~20個の多数の花をつけます。花はウバユリより大形で、9~13cmになります。本州中北部、北海道より南千島、樺太の落葉樹林内に生えています。北海道では低地性落葉広葉樹林内でよく見られる植物です。 花後には楕円形の果実を付けます。中には種がぎっしり詰まっており、膨らんで枯れると、種は平べったく周りに薄いはねが付いており、風に乗って飛び散ります。 (2013.8.3[Sat])
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車山のウメバチソウ |
車山山頂から山麓までの遊歩道沿いでは、秋の花が美しく開花しています。山頂周辺ではウメバチソウやアサマフウロが咲き始めています。 ウメバチソウの花は梅の花のようで、また梅鉢の紋に似ているから梅鉢草の名が付けられました。 また、遊歩道沿いでは、ハナイカリやタチコゴメバグサ、車山山麓にあるビオトープではヒメシロネが咲き始めました。 ヒメシロネは、高さ30から70cmになる多年草で、葉のつけ根に直径5mmほどの、小さな白色の唇形花をつけます。ヒメシロネの名は根が白く小型であることから姫白根と呼ばれました。 (2012.8.30[Thu])
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ナンテンハギが満開 |
車山高原のナンテンハギは8月中旬頃から咲き始め、今が最盛期となります。葉の形がナンテンに、花の形がハギに似ていることからナンテンハギと呼ばれています。 高さ1m程度になる多年草です。一見、シモツケのように、丸く繁茂するので、灌木のように見えます。北海道から九州に広く自生します。車山でも車山湿原や樹叢の林縁部など、比較的日当たりのよい場所を好んでいます。 葉の新芽は6月頃から出始め、アズキナと呼び食用にします。飛騨地方では、畑などで栽培している家も珍しくないそうです。 煮るときにアズキを煮る匂いがするところから、アズキナの山菜名が付いたようです。そのまま食べても柔らかく、ゴマの香りがほのかにします。新芽野菜としてサラダ、お吸い物には最適です。玉ネギやシラスと一緒にかき揚げにしても美味しいです。 (2012.8.25[Sat])
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ソバナが庭に咲いていました。 |
キキョウ科ツリガネニンジン属です。山中の林内に生える多年草です。車山高原ではツリガネニンジンと同じ今時分に開花します。とてもきれいな紫色の釣鐘状の花です。岨菜の字が当てられます。岨・そまは切り立った崖という意味です。生育地を示すと言われています。車山でも通常、そういう場所でみられます。 蕎麦菜とも書きます。若葉が蕎麦のように柔らかく、山菜として食べたからでしょう。 ソバ・蕎麦はタデ科の一年草です。葉にはルチン・クエルチトリンが含まれ、血管を丈夫にする働きがあるそうです。茎や葉は新芽野菜で、サラダにすると美味しいです。 (2012.8.24[Fri])
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車山高原に秋の訪れ、ワレモコウ |
車山高原に咲く吾亦紅です。 バラ科ワレモコウ属 花言葉は「愛慕」「移りゆく日々」です。 北海道から九州、中国からシベリア・ヨーロッパに広く分布する多年草です。日本の山野でも、ごく普通に見られる植物で、冬は地上部が枯れて根の状態で越し、春に再び芽を出して高さ1mほどに生長します。夏から秋にかけて茎の先端に小花がたくさん集まって卵形を成した花穂を付けます。 ワレモコウには花弁がなく、花序が暗紅色で、上部から咲き始める萼が花の彩りとなっています。花弁ではないので、長くその色が残ります。ワレモコウが秋遅くまで咲いているように見えますが、実際には花は終わり、萼のために花序であるように思えるのです。 ワレモコウの先端には、よく赤トンボがとまります。車山高原らしい光景です。 (2012.8.23[Thu])
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車山に咲くウバユリ |
山野の林下や草原など多少湿り気のある場所に自生するユリ科の多年草です。高さ1mにも達します。 ウバユリは宮城県・石川県以西の本州・四国・九州に分布し、 国道152の大門街道やビーナス・ライン沿いに多く見られます。主に谷筋などの明るい落葉広葉樹林下に生育しますが、これだけ美しい花なのに路傍などにも咲いています。「うば」は、姥で、夏に花が咲くころには葉・歯がなくなることからウバユリ とよばれているようです。 ウバユリは、春の芽を出した直後の若葉を山菜としています。 秋に十分成長したウバユリの鱗茎も一枚ずつはがして湯がいて食べれば美味しいです。縄文時代にもよく食べられていたようです。 (2012.8.22[Wed])
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車山のレア・メモリーの前庭に咲くキキョウ |
日本、朝鮮半島、中国原産で、日当たりのよい山野や原野の乾いた所を好み、美しい花を咲かせるキキョウ科キキョウ属の多年草です。キキョウ属はキキョウ1種からなり、園芸品種や変種は見られますが、他の種はありません。サワギキョウやモモバギキョウをはじめ、キキョウと付いた植物が多く見られますが、これらはキキョウ科でも別属の植物です。 典型的な陽性植物です。日当たりのよい山野などに自生し、日本では万葉の昔から秋の七草として親しまれており、各地に名所も知られています。東福寺の塔頭・天得院や廬山寺といったキキョウの名所が有名ですが、車山高原・霧ヶ峰・美ヶ原では、自生のものは見たことがありません。 和名は漢名の桔梗を音読みしただけです。 (2012.8.4[Sat])
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八島ヶ原湿原の八島ヶ池のヤマウルシ |
八島ヶ原湿原のヤマウルシです。ヤマウルシは秋の先頭を切って八島ヶ池の浮島で真っ赤に染まります。 やがて八島湿原全体が"秋色"に染る草紅葉となります。静かで、自然の息づかいが聞こえるようです。 沢渡に向う方ではススキの花穂が、太陽の光に美しく映えています。 (2011.8.31[Wed])
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車山高原のマツムシソウは今が見頃 |
車山山頂(標高1925m)ではアキノキリンソウが見頃をむかえています。特に車山湿原の遊歩道沿いに群生がみられます。車山頂から車山山麓へ向かう遊歩道沿いのマツムシソウも美しいです。 車山樹叢内のハンゴンソウ・トリカブトも遊歩道沿いで楽しめます。 車山高原・霧ヶ峰・旧御射山・八島ヶ原湿原のススキの花穂が大景観となっています。 8/30 八島ヶ原湿原の八島ヶ池ではシツ ゲンヤマウルシの紅葉が始まりました。ごく僅かな期間で終わります。いよいよ八島ヶ原湿原に草紅葉の時季が訪れます。 (2011.8.30[Tue])
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オオウバユリが咲きました |
8月5日、レア・メモリーのアプローチで撮影しました。オオウバユリです。美しい純白の大輪の花です。ユリ科ウバユリ属の多年草そうです 毎年、レア・メモリーの庭には何株も育ちますが、オオウバユリは、芽を出してから6~8年目にようやく花を咲かせ、たくさん種をつけ、その後はすぐに枯れてしまいます。1回繁殖型の多年生植物です。花をつけた株は一生を終えますが、元株の脇に子株を育てています。鱗茎はデンプンを含み、食用にできます。古代人は食料にしていたようです。 (2011.8.5[Fri])
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車山高原のオオバギボウシ |
車山高原のオオバギボウシの群生がいい!オオカメノキの花は、山アジサイのようで、素朴でありながら美しいです。車山湿原のアカバナシモツケも、素晴らしい景観です。 マツムシソウが車山山頂標高1925mの付近で咲き始めました。これから高原一帯へと次第に降り下っていきます。ヤナギランも咲き始めてきました。八島ヶ原湿原が見頃を迎えています。 現在、車山山頂から車山乗越に降りる遊歩道沿いのウスユキソウが見頃をむかえています。ホタルブクロも目立ちます。 (2011.8.2[Tue])
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男女倉山、『男女倉道』、『男女倉越』 |
八島湿原の北西には鷲ヶ峰(1797・9m)が聳えています。第1ピーク、第2ピークを越えて山頂にたどり着きます。山頂からは諏訪湖と八ヶ岳・富士山・南アルプス・御嶽山が一望され、まさに絶景です。鷲ヶ峰からビーナスラインを越えた南側に星ヶ塔・星ヶ台があり、その北方には更なる1つの峰を越えると和田峠に至ります。いずれも3万年を優に超える旧石器時代からの黒曜石の採掘場でした。現在でも出土しています。 昭和27(1952)年にビーナスライン・観光道路開削工事をする際に松沢亜生(つぎお)が調査を行ない、多量の黒曜石の石器と遺物が露出しているのを発見し、はるか3万年を越える以前からの 先土器時代の遺跡が確認されました。「八島遺跡群」発掘の発端です。現在、10数箇所で先土器時代遺跡が発見されています。全体を総称して「八島遺跡群」といいます。さらに多くの旧石器時代の遺跡が埋もれていると考えられますが、遺跡全体の調査が不十分で、未発見の遺跡も多いので、遺跡分布状態は定かでありません。 雪不知遺跡は八島湿原の北東、物見石(1780m)の上り口で、ミズナラ林の中、谷川が流れる標高1,650mに位置する日本で最高位にある遺跡です。 八島湿原の鎌ヶ池の手前、現在は通行止めにされていますが、そこからは男女倉山(1776m)の山稜に添うように北東に渓流が流れ下っています。男女倉川です。長和町(旧和田村)の男女倉(おめくら)地籍を通り、和田峠から流れ下る和田川と合流し、大門峠から流れ下る大門川と大門で合流し依田川となり、大屋で千曲川に合流します。 現在、男女倉川右岸にある男女倉公民館近くの『黒曜石の水』の湧水が連日盛況です。古代からの流通・生活道が、八島湿原を経由して、男女倉渓谷を下り、和田集落から佐久と上田両方面へ向かう主要道『男女倉道』を発展させてきたのです。 諏訪の人々には、急峻な和田峠は、実用性を欠く難路で、むしろ砥川・東俣川渓谷から合倉沢や観音沢を通り八島に出るか、角間川を遡るか、いずれかでしょう。山浦方面の人々は上川から横河川や桧沢川を経て、池のくるみ、強清水、沢渡と登り続けたでしょう。 男女倉山の尾根のピークは霧ヶ峰高原北端の一角にあって、山頂は長和町(旧和田村)に属しています。霧ヶ峰高原の他の山と同様、起伏の少ない穏やかな山容で、ピーク付近だけが急峻でピーク自体は平坦で広いです。山名は北麓の和田峠手前の男女倉地籍の由来と考えられますから、「ゼブラ山」はいただけません。男女倉山の頂上からは眼下に、『男女倉集落』とそれに至る『男女倉渓谷』がのぞけます。 鷲ヶ峯の3つのピークが明らかに分かり、その北隣に独立した比較的高い山があります。以前に登った時、山頂付近一帯がドウダンツツジで覆われていました。いかに冷たい強風に晒されているかが、よく分かりました。背丈が極端に低いのです。この現象は、車山湿原のレンゲツツジと同じです。秋10月の紅葉シーズンが楽しみです。この山の奥隣に鉄塔が見えます。 その付近に中山道最大の難所・和田峠があります。最大標高1,531mです。今では、大仰な来歴看板が有るばかりの訪れる人もない峠です。何度か登りましたが、人と出会ったことは一度もありません。ただ余りの急峻なのに驚き、江戸末期「和宮」が乗る籠をどうして運び上げ、運び下ろしたか、苦役にかり出される庶民の姿が、この峠でも彷彿され、風の音が悲鳴のように響いてきた記憶があります。 聖山・冠着山・三才山・美ヶ原・鉢伏山・高ボッチ山から霧ヶ峰連峰と続く山岳部は、長野県の中央を分断し筑摩山地(ちくまさんち)と呼ばれています。これを越える事が、古代から課せられる物流の最大の難問でした。 三才山トンネル・新和田トンネルが開通し、一部改善されているとはいえ、依然として残る課題ですが、人々は自らの知恵でルートの開設にベストを尽くしてきました。江戸時代の脇街道の縦横に及ぶ発展が、それを語ってくれます。 和田峠の北隣が三峰山です。美しい円錐形の山容で、以前から憬れ登りたい山の一つです。通常、三峰山は単独の頂きと見られます。扉峠の駐車場からは、そうとしか見えないのです。鷲ヶ峯同様、安易に登ってはいけない事が、男女倉山の山頂からの風景が教えてくれました。まさに3つの峰が見えました。古代から続く山名のすごさが知られます。 『男女倉山』は、絶対にゼブラ山としてはいけません。八ヶ岳の『冷山(つめたやま)』をガイドが『れいざん』と呼び、テレビが、それを報道しました。『冷山』は、和田峠・星ヶ塔・星糞山などと共に、野尻湖周辺の遺跡群同様、この信州の歴史と人類史発祥の地に深く関連します。決して、呼び名の重要性を軽視してはいけません。 男女倉山の山頂にようやくたどり着いたときです。既に6名の「ガイド」とか「監視員」とか書かれたワッペンを腕に巻いている人たちがいました。この日は日曜日でしたから、休日返上で活躍していたようです。幾組とすれ違っています。『樺の丘』から『山彦尾根』、『南の耳』、『北の耳』は、霧ヶ峰高原を代表する地域です。その時「監視員」相互で、あの山は何かと尋ねる声がし、一番若い人が、年上を正すように「守屋山(1650m)」ですよというと、「監視員」の方は驚いていました。 それを聴く私も、既に方向感覚が混乱していることを悟りました。男女倉山から南方の御射山の丘の後方に堂々と独立峰として浮かび上がっている「守屋山」の西側に市街地が見えたのです。「監視員」の集うそばに拠り、私自身、あの優容にして不動の姿は「守屋山」でしかないと思いながらも、その疑問を問いかけました。その答えにまた驚きました。あの町並みは辰野町に隣接する箕輪町だそうです。「赤そば」で有名で、2度ばかり出掛けています。 その西方には御嶽山、そのさらなる西方に穂高が望まれました。 男女倉山からの下りも急ですが、アスピーテ火山特有の直ぐになだらかな台地「北の耳」に連なり、実に心地よいルートです。「北の耳」が分岐点で、戻れば八島湿原、右折すれば山彦尾根から車山高原、白樺湖へ通じます。「北の耳」から延びる稜線辺りが『男女倉越』で、鷹山のスキー場をなだらかに下ると、県道155(男女倉長門線)です。そのまま横切れば、黒曜石採掘地の『星糞峠(長門町)』、『虫倉山(1658m)』へ上ります。右折すれば大門街道に通じ、左折すれば男女倉集落から中山道へ出ます。 「北の耳」から「物見石」は指呼の間で、なだらかな高原風景ですから「物見石」から沢渡に出る古道があったでしょう。 (2010.8.31[Tue])
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車山高原の秋の花 |
レア・メモリーの庭のユウガギク・シュロソウ・カニコウモリなど高原の秋の花がきれいです。「柚香菊」、ユズ(柚)の香りがする菊の意味だそうです。葉を摘んで揉んでも、私にはユズの香りはしなかった。 日当たりのよい山野に群れて生える多年草で、地下茎を横に這わせて増え、その長さは1.5mくらいにもなるそうです。リュウノウギクやゴマナと共に秋を代表する野菊です。花期は長く8月頃より10月まで咲き続けます。ゴマナ(胡麻菜)は若苗が食用になることから名付けられました。 (2010.8.17[Tue])
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車山に咲くワレモコウ |
「吾も亦(また) 紅(くれない)なりと ひそやかに」 高浜虚子 レア・メモリーの庭にワレモコウが咲き始めました。「吾木香」は、日本の木香の意で、その根がインド原産の「木香」に似ているから呼ばれました。それは菊科の根のことで、強い芳香があり、地楡(ちゆ)という生薬でタンニンを含み、止血剤として用いられています。 暗紅色の可憐な花をつけますが、この花はなに色だろうか?その時々に茶色、こげ茶、紫などに見えます。初夏に茎を出して高さ1mほどになり、上部は枝を出してそれぞれの先端に穂状の花序を形成します。花期は8月~9月。花弁はなく、萼片は4枚で、それが暗紅色の花に見えるのです。 花弁のある花は短期間に色あせますが、ワレモコウのように花弁がなく、萼が花の彩りと見えて、長くその色が残るのです。ワレモコウが秋遅くまで咲いているのではなく、実際には花は終わっており、萼のために花序があると錯覚するのです。 (2010.8.8[Sun])
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レア・メモリーの庭のオオウバユリ |
レア・メモリーの庭のオオウバユリの花が見事です。 庭のワレモコウ・ナデシコ・ツリガネニンジン・ギボウシなどの高原の花もきれいです。車山高原も濃い緑色に染まり、シモツケソウ・タカネザクラ・ヤマホタルブクロなどの花が美しいです。 車山湿原のシモツケソウが、今が見頃です。 (2010.8.5[Thu])
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2009年08月の日記
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