森将軍塚古墳から、千曲川流域に発達した善光寺平!信濃有数の穀物地帯を見渡す。古墳は4世紀中期 ~末期にかけて、千曲川を見晴らす有明山の尾根上に築造された。標高490mの山頂である。科野氏は、当地を拠点として大発展した。
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弥生時代前期】紀元前350年~紀元前200年頃
北部九州に朝鮮半島からの渡来者が流入。
佐賀県菜畑遺跡などで水田稲作が行われる。
北部九州に大規模な環濠集落が現われ、以後西日本に広がる。
北部九州に鉄器の普及、環濠集落同士の戦闘が激化。
【弥生時代中期】紀元前200年頃~紀元前後
北部九州で前漢鏡を副葬した大首長墓が出現(福岡県須玖岡本・三雲南小路遺跡)。
九州で銅剣・銅矛など武器型青銅器が、近畿地方で祭祀用銅鐸が鋳造される。
北部九州に鉄器が普及。
瀬戸内海地方に高地性集落ができる(八堂山遺跡・紫雲出遺跡など)。
沖縄や奄美を含む南西諸島から九州、本州、北海道まで伝わる『貝の道』ができる。
『貝の道』により貝製の斧やナイフ、首飾りなどが、穀物や金属器・布などと交易。
八重山諸島に出るシャコガイ製斧は大型で、木材の伐採や丸木舟の製作道具。
倭人が100余国に分かれ、一部が楽浪郡に朝貢。
【弥生時代後期】紀元前後~250年頃
57年 倭の奴国王、後漢に朝貢し、光武帝より金印を授けられる。 |
107年 『後漢書』に「安帝の永初元(107)年倭の国王帥升(すいしょう)等、生口160人を献じ請見を願う」と記される。 |
2世紀末ごろ、倭の諸国が卑弥呼を女王とする。 |
3世紀前半、前方後円形・前方後方形の墳丘墓が出現し、列島各地に広まる。 |
239年 卑弥呼、魏(ぎ)の明帝への奉献を願う。 |
247.8年頃 卑弥呼没す。 |
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