車山高原 さわやか信州 旅日記 10月

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 蓼科山から昇る朝陽に映える紅色の輝き!八島ヶ原湿原の草紅葉!ススキ野の黄金一色の花穂の群落!
草紅葉は8月末から始まります。赤く点在するシツゲンヤマウルシの可憐な面影が、緑の浮島にやどり
やがてタカトウダイ・アサマフウロ・ミヤマニガイチゴ・ジャコウソウなどが紅に染まり
10月上旬のヤナギランの群落と共に、鮮やかな秋色を演出してくれます。

 2014年10月の日記
真田町の長谷寺は、真田幸隆・昌幸の菩提寺でした
 車山から車で約80分の上田市真田町長にある長谷寺は、本堂の裏に真田幸隆夫妻と幸隆の三男昌幸の墓を3基祀っています。
 「ちょうこくじ」と呼ばれています。
 境内には、樹齢150年と伝わるシダレザクラが5本、美しい姿形で植栽されていました。
 それぞれ見事なシダレザクラで、上田市街地よりも標高が400mほど高い、奥深い谷沿いの寺であるため、上田城より1週間以上遅れて、見頃は4月末頃になるそうです。
 曹洞宗長谷寺は天文16(1,547)年、武田信玄に仕えて領国を得た真田幸隆が、真田本城(松尾城)内に古くからあった種月庵という小さな寺に、伝為晃運(でんいこううん)を招聘して、一宇を創建しました。
 晃運は上野国後閑(群馬県安中市)の長源寺の僧で、天文10(1,541)年、海野平の戦いで、海野氏が滅び、その後、幸隆は関東管領上杉憲政を頼り、長源寺に寄宿した時以来の知己です。
 その子真田昌幸は、父の菩提の為に諸堂を整えましたが、慶長5(1,600)年の第二次上田合戦の兵火で焼失し、元和8(1,622)年、真田信之の代に、真田氏は上田から松代へ移封となり、長谷寺の6世住持が松代に移り、新たに長国寺を開山し、長谷寺は長国寺の末寺となりました。

 寛保2(1,742)年、長谷寺は土砂災害に巻き込まれ、宝暦7(1,757)年には再び火災で焼失、明治23(1,890)年にも火災に遭い、そのため古い建物は残されていないそうです。現本堂は昭和53(1,978)年の再建です。
 裏の庭では、槇が懸崖のように仕立てられて見事でした。
(2014.10.13[Mon])
信州東御町の海野宿を再度訪れました
 海野宿まで車山高原から車で50分もかかりません。
 海野宿は、中山道と北陸道を結ぶ北国街道の宿場町で、千曲川の右岸にあり、しばしば水害に悩まされてきました。その近くの下流、葛尾城の裾を洗う埴科郡坂城の千曲川の大洪水は、江戸時代だけで64回の記録があり、4〜5年に1回の割合で被災していたようです。

 江戸時代に整備された北国街道は、現軽井沢町の中山道の追分宿で分岐した後、小諸宿・海野宿・田中宿と続き、矢代(屋代)宿と犀川のほとり丹波島宿(長野市丹波島)の間にある篠ノ井追分で、洗馬宿を起点にする村井宿・岡田宿・会田宿・麻績宿・稲荷山宿を辿る北国西往還と合流し、さらに善光寺宿を経て、越後の直江津宿(上越市)に達する、約140kmに及ぶ街道で、中山道と北陸道を結ぶ重要な脇往還でした。
 佐渡金山の金の道、加賀藩・富山藩・松代藩・上田藩などの諸大名の参勤交代、江戸からの善光寺参詣客などで賑わいました。特に隣接する本宿田中宿が、寛保2(1,742)年の[戌の満水]と今でも語り継がれる大洪水によって壊滅状態となり、間宿に過ぎなかった海野宿に本陣が移されると、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と隆盛していきます。
 延享3(1,746)年の「海野宿屋敷割図」によれば、今でも流れる用水の両側には103軒の家が建ち並び、人足25人と馬25頭が常備されていました。
 明治時代に入って宿場制度が廃止され、その上鉄道が普及すると、旅籠を主体にする宿場は、急速に衰退の一途をたどります。

 代わって産業として台頭してきたのが、享保年間(1,716〜1,736)以降、その気候風土により、蚕の飼育の適地として、農家の副業として普及していた養蚕業でした。明治維新当時、唯一ともいえる輸出産業であった製糸業は、奨励されます。そのため信州の養蚕業は大発展します。

 蚕は暑さに比較的強いのですが、病気が発生しやすい時季でもあります。その一方、信州の晩秋の寒さに、蚕は弱いのです。そのため蚕室を、随時、暖めるためストーブが登場します。元々旅籠の相部屋として使われてきた広くて大きな部屋を、養蚕場に転用し、屋根の棟に「気抜き」と呼ばれる煙出しの小屋根を備え、火を焚いても、その室温が蚕に最適になるよう、工夫され改築されてきました。
 海野は宿場町から、養蚕業を生業とする養蚕の町へと発展します。蚕室造りのため、大きく堅牢な建物が次々と建て替えられます。
 箱棟は、現在の海野宿の特徴で、大屋根の上に、厚板で作った大棟の家形が、最上部にあるのが通常の風景です。海野宿の再修復に携わった大工さんによると、箱棟は、板造りだけでのものも少なからずあり、頂上の屋根板の上にだけ瓦が並べられる家屋もあったようです。
 通常の養蚕農家は、草葺屋根上に箱棟だけを備え、さらに瓦を葺くなどで対応していたようです。
 箱棟は、民家の屋根裏または2階を蚕室として使用するため、採光・換気用として大棟にあけられた開口部に、越屋根を設けます。
 空気抜けの櫓や煙出しの格子窓を備えた箱棟などの他、簡単な抜気高窓などが工夫されていました。
2014.10.12[Sun]
車山レア・メモリーの紅葉
 ドウダンツツジとレンゲツツジを主体にした紅葉です。
 紅葉するナナカマドの巨木高く、巻きつくヤマブドウの大きな赤い葉がきれいです。
 カエデ類の紅葉も、彩り豊富で、タカネザクラと秋色を競っています。
 前庭の東側のアプローチに沿うように並ぶ、シモツケやニシキギの紅色も鮮やかです。
 裏庭ではマユミの朱色の茂みから、アオゲラの”ピーピー””ピーピー”という甲高い囀りが響き渡ります。
 それは母ジカが、娘ジカに警告を発する呼びかけとそっくりです。
2014.10.11[Sat]

 2013年10月の日記
 
八島湿原の今現在の草紅葉風景
 車山高原から霧ヶ峰一帯を覆うススキの尾花の大群落は、それこそ広大で、ただ圧倒されるばかりです。ビーナスライン沿いの富士見台から強清水一帯が佳境を迎え、八ヶ岳や南アルプスの大パノマラを背景する雄大な眺望が広がっています。眼下では、諏訪の平が、富士山を背景とする車山高原特有の景観が展開されています。
 今日、八島湿原へ「草紅葉狩り」に出掛けてきました。車山からは、僅か車で15分と、ごく近いです。途中、車窓から眺めるビーナスライン沿いのススキの尾花の大群落は圧巻でした。
 八島ヶ原湿原の草紅葉は、残念ながら、主役のフウロウ類やシモツケソウ・ヤナギランが、重なる降霜により既に枯れ果てていました。
 所々でキンミズヒキやタカトウダイが、病葉になることもなく、深みのある紅色に染まっているのが印象的でした。ミヤマニガイチゴの紅葉が、木道として渡される板の間に、しばしば顔を覗かせていました。 
 八島ヶ原湿原から沢渡に向かう木道沿いで、写真のようにヤナギランの実が白い糸状となり、ススキの花穂の大群落と木道の左右に別れて、午後の陽射しを浴びて銀色に輝く光景が忘れられません!
(2013.10.8[Tue])

小布施「安市」を楽しむ
 小布施の名の由来は、千曲川と松川が合流する「逢瀬(おうせ)」とする異説もありますが、諸道に通じる四衢と、千曲川の舟運の中継地としての「逢う瀬」が転訛したと考えられています。江戸初期の寛永6(1,625 )年から、毎月3と8の日の月に計6回、市が立ち「六斎市(ろくさいいち)」と呼ばれました。善光寺平の産物、米・菜種油・木綿などが主な取引品目でした。
 北信濃における物資の集散地として賑わった小布施も、明治時代以降、鉄道の開設の遅れなど交通の利便性から、善光寺を中心とする長野に取って代わられ、「六斎市」は次第に衰退します。これに危機感を感じた小布施の商人たちが、新たな商業の場を設けるべく、「六斎市」に倣い開設したのが現在の「安市(やすいち)」といわれています。今では、長野県下の三大市の一つに数えられています。
 毎年1月中旬の「成人の日」を最終日とする2日間、国道 403号線、通称・谷街道沿いにある、小布施の町内、天照大御神を祀る「皇大神社(こうたいじんじゃ)」を中心に開かれる「安市」がそれです。特に、無病息災・五穀豊穣を祈願し、行者による「千駄焚き・火渡りの神事」がハイライトとなっています。商工会館前では「安市楽座」が開かれ、また特産物振る舞いが行われています。

 小布施では、毎週日曜日の朝から、町の南側、松川橋たもとの小布施南駐車場で、朝市・「栗どっこ市」が開かれます。北斎館脇にも販売所があります。四季折々の地元の野菜や果物などの農産物を中心に販売されています。この朝市は、主に団地や商店の人々などが買いに来ます。味覚の振る舞いもあるためか、観光客の遊び心も誘っています。
(2013.10.7[Mon])

白駒池の紅葉は今です!
 白駒池の標高は2,115mです。湖沼では日本の最高所となります。細かく言えば、標高2,100m以上の天然湖の中では日本一の大きさです。国道299号沿いにある麦草峠の白駒の池駐車場から、初心者向きの山道を歩き15分位です。
 周辺には樹齢数百年のコメツガやシラビソ・オオシラビソなどの大木が生い茂り、その林床には緑の苔が、高級なダウン布団のように、ふかふかと重層に、しかも一帯に蜜に敷かれている、それをなぞる様に、細かく裂かれた木漏れ日がモザイク状に照らし出す光景には、ただ圧倒されるばかりでした。
 485種類の苔が繁茂する「日本の貴重なコケの森」の一つとして選定されました。その原生林を開いて造った遊歩道は昼間でも薄暗い、その中に白駒の池は、ひっそりと神秘的な佇まいで静まっています。池の周囲は1.6kmほどで、1周約40分の遊歩道が巡っています。
 紅葉は真っ赤に色づくドウダンツツジ・ナナカマドと黄葉に輝くダケカンバが湖畔を彩り、それが湖面に映え、光と影となり、その見事な協演が、思わず発せられる感動の声となって返されるのです。
 北八ヶ岳にある白駒の池は、典型的な亜高山帯に属します。通常、見頃は10月早々です。美しい深山の紅葉ですから、残念ながら盛期は一週間もありません。
 白駒の池を一望する高見石までは、登り70分、下り50分です。高見石の岩場からの眺望は、まさに眼下にある白駒の池の紅葉が、常緑の亜高山帯の針葉樹が優占する奥山の山岳風景が背景となって、極めてダイナミックです。車山湿原と同様、訪れる方々を魅了します。
2013.10.6[Sun]

霧ヶ峰高原のススキの原野
今現在、大門峠から始まる車山高原から、車山の南麓カシガリ山周辺と、車山の西麓に裾野となって広がる霧ヶ峰高原の蛙原や強清水一帯にススキの尾花の大群落が眺望され、実に雄大で爽快な高原風景を堪能させてくれます。
 1,925mの主峰車山を中心とした標高1,500〜1,900mの、緩やかに見晴らすススキの大草原は実に壮観です。
 霧ヶ峰の蛙原にあるグライダー練習場で、好都合にもグライダーの離陸が見られました。凧を上げるようにワイヤーで引き上げられグライダーが、上空で切り離され、フワリと滑空し始める光景は本当に感動的です。
 上昇するグライダーの下には、富士山と諏訪富士・蓼科山が遠景となり、南の方向には甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳などの南アルプスが眺望できます。コバイケイソウ・ニッコウキスゲ・マツムシソウなど、折々の高原植物の旬花が、緑の草原で色とりどりに咲き競った時季は去り、今では、ススキの花穂が広大な草原を、一面に覆い尽くし、富士山やアルプス、八ヶ岳連峰など、日本が誇る名峰の数々が一望されます。
 霧鐘塔は霧ヶ峰高原のシンボルとして見晴らしの良い蛙原の最上部に建ち、秋晴れの日にはハイキングやトレッキングの目印にもなっています。
2013.10.5[Sat]

白樺湖の桜の紅葉
 今年は寒気の訪れが遅いのに、一度寒波が下りてきますと、信州の紅葉の名所と呼ばれる各地で、紅葉が一遍に見頃を迎えました。
 車山高原を中心に、車山湿原・八島ヶ原高原・白樺湖・北八ヶ岳白駒の池の湖畔・八ヶ岳連峰など、山岳高原の秋色が、今年も相変わらず見事です。
 国道152・大門街道も、ハウチワカエデ・ヤマザクラ・ヤマモミジなどの色とりどりの朱紅色に、シラカバ・ミズナラの黄葉が重なり、大門川の渓流と南アルプスの眺望が広がる渓谷美と相まって、車窓からでも充分に楽しめます。
 写真は、白樺湖湖畔の紅葉するサクラから、旧石器時代から営まれて来た御座岩岩陰遺跡を撮影してみました。今年も、この対岸の「ゴールデンアカシヤ」の黄葉が美しく、かなり好評です。
(2013.10.4[Fri])

八島ヶ原湿原 草紅葉
 八島ヶ原湿原の草紅葉が見頃です。草紅葉の爽やかな秋色は1週間ももちません。今、北八ヶ岳麦草峠付近の白駒の池湖畔のドウダンツツジ・ナナカマド・ダケカンバなどが、赤や黄色で鮮やかに色づき話題になっています。標高2,115mですから、色褪せるのも早いです。 
 八島ヶ原湿原内では、ヌマガヤやミタケスゲが紅色を強め、周辺ではレンゲツツジやヤナギラン・ハクサンフウロ・アサマフウロ・ヒヨドリバナ・タカトウダイなどが色づいています。ヨツバヒヨドリの紅褐色も味わいがあります。
 群生するススキの尾花から透してみると、秋の穏やかな青空の下に男女倉山・物見石・蝶々深山・車山などの車山連峰が遠望できます。蓼科山も意外なところから顔をのぞかせています。
 八島ヶ原高原は、今現在、薄紅色の草原と化しています。イワノガリヤスの花穂の群生も秋の終末を演出しています。
 車山湿原のレンゲツツジの紅葉と西陽に銀色に映えるススキの尾花の群落も楽しめます。車山斜面のレンゲツツジ・ナナカマド・ヌルデ・カエデ・オオカメノキなどの紅葉も、あと4,5日すれば美しく染まるでしょう。
(2013.10.3[Thu])

小布施町は時節がら賑わっていました。
 車山高原から菅平高原を越えて小布施町に到着しました。小布施町は半径2km圏内に総ての集落がおさまる長野県で一番小さな町です。平日でしたが、秋の味覚・栗の季節だからでしょうか、相当な人出でした。
 小布施は千曲川と松川が合流する扇状地上にあります。松川は、上高井郡高山村と群馬県との境にある横手山が源流で、やがて急流となり松川渓谷となり、高山村内を西へ横断し、須坂市と小布施町の境を流れ下って千曲川に合流します。この肥沃な大地が600年の歴史を持つ小布施栗を育んできたのです。
 小布施栗の栽培は、室町時代には既に行われていました。松川上流の濁流がもたらす肥沃な酸性土壌が、その扇状地一面に栗林を拡大させ、次第に小布施を栗の名産地として有名にしました。
 小布施町は、長野県の北東、北信濃に位置する上高井郡の町で、千曲川東岸に広がる豊かな土地です。古くから谷街道と毛無道が合流する交通の要衝でした。
 谷街道は北国西街道最大の宿場町稲荷山宿から分岐して千曲川を渡り、対岸の屋代宿のある松代藩・須坂藩・天領の小布施と中野を経由して飯山藩に通じます。その後は、越後への道筋となる十日町街道と合流します。
 毛無道は、小布施を起点として不動沢に沿って万座川を進み、やがて毛無峠越えとなり、上州の仁田沢を経由して干俣(ほしまた)・門貝(かどかい)に至る信州と上州を結ぶ最短距離の「抜け道」として利用されていました。また高井野・黒部・牧・日滝・小布施・須坂北部などの村人の山稼ぎ道として、頻繁に利用されていました。
 「神道集」によれば「昔ハ毛無通(道)ハ、奥ノ大道」とか、「碓井ノ手向、(毛)無ノニ峯ニ関ヲ居ヘテ」などとあり、毛無峠が関東地方と信越地方を結ぶ古くからの要路であったことが知られます。江戸時代に入っても、毛無峠越えは上州と信州を結ぶ重要な裏街道でした。

 小布施は、江戸期には定期的な「六斎市」が開かれ、交易市場として発展します。特に千曲川の舟運が発達し、江戸時代には、交通と経済の要所として栄えました。
 やがて人・物・情報が集まる北信濃の文化的中核となります。高井家は、その間、営々と富を築き上げる酒造業者でした。
 高井家の幕末期の当主が、小布施堂の祖・鴻山でした。天保年間、江戸日本橋白銀町で呉服屋を営む小布施出身の十八屋の紹介で、鴻山は浮世絵師葛飾北斎と交誼を結びます。
 北斎が小布施に来たのが83歳の秋でした。その後も4回訪れています。北斎は晩年に期するものがあるのか、肉筆画に全力を傾注ます。
 小布施は鴻山が招いた北斎や佐久間象山・小林一茶ら幕末の文人墨客の交流の地となりました。
 鴻山は商人としては、極めて無能で、本業は弟に任せきりで、京や江戸では、勉学の傍ら、専ら花柳界で金持の御曹司として遊興にふけ、自ら「放蕩宗」と称して交流を広げています。明治4(1,871)年、鴻山は、高井家の家督を息子の辰二に譲り、その年の秋、文部省に出仕しますが、明治8(1,875)年、遂に高井家は破産します。明治11(1,875)年の3月、小布施の邸宅が大火に遭います。
(2013.10.2[Wed])


旬花咲く黒姫高原コスモス園
 日本のコスモス園の草分けといわれる黒姫高原コスモス園は、約50品種100万本の日本屈指の花群でした。10/1は、まさに最盛期で「ひとめ100万本のコスモス」の光景が、目の当たりに展開していました。
 「チョコレートコスモス」や鮮やかなブルーが美しい「ヘブンリーブルー」など、たくさんの種類がありますが、「キバナコスモス」と朱紅色のコスモスが主体です。
 チョコレートコスモスは濃赤紫の花色と、花の香りから「チョコレート」の名前が付けられました。ただ、確かにチョコレート色といえますが、香りはそれほど強くありません。近くでトーモロコシを焼いて売っていたので、その香りに完全に負けていました。決して嫌な匂いではありませんが・・・・
 黒姫高原コスモス園では、黒姫山麓のスキーゲレンデを利用し、通常のコスモス園のようにタネの直播でなく、育苗したコスモスを一本一本手植えしているそうです。標高900mの北信の高冷地が幸いして、コスモスに適した気候となり、花色が鮮やかで、しかも開花期が長いそうです。
 10/7(月)〜10/14(月)まで、園内のコスモスの摘取りが自由になります。ハサミを持参して下さいとのことです。

 黒姫高原コスモス園はダリア園でもありました。
 大輪の花の中心がピンクで乳白色の花色がセクシーな「セクシーポーズ」、中心が濃い焦げ茶で、外周が紫朱色の「黒蝶」、淡いイエローの花心が特徴の純白の花「残雪」など「世界のダリア2,000株」もたけなわでした。華麗で豪華な花園と化していました。
(2013.10.1[Tue])

2012年10月の日記
10月23日は、二十四節の一つ霜降、車山の紅葉がみごろになります
 ウルシの仲間は、紅葉時期が早く、しかもきれいに紅葉します。
 車山ではヌルデの朱赤色の紅葉が、一面強風で大きく揺れています。

 五倍子(ふし)はヌルデシロアブラムシという虫がヌルデの枝に産卵し、一万匹もの幼虫が孵化してその樹液を吸いコブ状に膨らみます。傷から細菌が入らないようにタンニンを溜めるため五倍にも膨らむので、五倍子と名付けられました。タンニンが豊富なため皮なめしに用いられたり、かつては既婚女性の習慣であったお歯黒にも使われました。インキや白髪染の原料にもなっています。

 パイオニア的植物ですので、渓流沿いの林縁でよくみられます。典型的な陽樹ですので、周辺部に樹高のある木が繁茂しはじめますと、次第に消滅していきます。
 8〜9月に本年枝の先に、円錐花序を付け、黄白色の小さな花を多数咲かせます。扁平な球形をした4mmほどの果実を付けます。熟すると白い物質を分泌し、果実はリンゴ酸カルシウムを含む白い粉に被われます。台湾の先住民や日本の山間部では塩の代用にしたそうです。
 
(2012.10.22[Mon])

車山に映えるヤマモミジ
 白露の 色はひとつを いかにして 秋の木の葉を ちぢに染むらむ  (藤原敏行)
 ヤマモミジが、まさに「千々に染むらむ」という光景で、秋の温もりのある陽射しを浴びて、紅・朱や黄色味の強い鮮やかな葉もあり、色とりどりです。
 車山高原の今、ニホンジカの発情期で、オスジカが縄張りを主張するときの鳴き声が、夕方以降になるとうるさいぐらに響き渡ります。シカたちは、草紅葉を食みながら繁殖活動をしているのでしょうか?出産は初夏です。
 モミジとカエデは同種の植物で、植物分類上は共に同じカエデ科カエデ属の樹木で、カエデ属のうち紅葉する種をモミジと通称するだけのことです。モミジとカエデを分類するのは、盆栽の世界だけだそうです。
 カエデ科の中には、樹液が甘いサトウカエデなどの樹液を濃縮してメイプルシロップとして利用する品種もあります。
2012.10.21[Sun]

今!車山高原の紅葉が真っ盛り
 今年は寒気の訪れが遅く、信州の紅葉の名所と呼ばれる各地で、ようやく紅葉が一変に見頃を迎えました。
 車山高原を中心に、白樺湖周辺と蓼科山の秋色の湖畔風景、今年も相変わらず、国道152・大門街道のハウチワカエデ・ヤマザクラ・ヤマモミジなどの色とりどりの朱紅色があって、その渓流と眺望が広がる山間風景とあいまって、車窓から暫くは楽しめます。
 一方、蓼科の横谷観音のカエデを主体とした紅葉が、最盛期を迎えています。眼下に見る王滝と、それを包みこむ渓谷の紅葉美が幻想的です。そこからは、南アルプスから北アルプスの槍ヶ岳までの山岳風景と諏訪の東部が一望されます。
 車山の山頂から山麓までの遊歩道沿いには、今でもリンドウが花を咲かせています。草紅葉もまだまだきれいです。特に目立つヨツバヒヨドリ・ハクサンフウロ・ヤナギランなどの紅葉です。ビーナスライン沿いのヌルデ・カエデ・ナナカマドの紅葉も見頃です。
2012.10.20[Sat]

美しいリョウブの紅葉
 写真はレア・メモリーの近くにある車山のリョウブの紅葉です。これほどリョウブが美しく紅葉するのは珍しいです。我が家の庭のリョウブは、むしろ黄葉です。
 
 漸く、一気に紅葉が始まりました。
 大門街道から白樺湖・車山と蓼科の横谷観音など、今年は、紅葉の当たり年のようです。
 ビーナスライン沿いの車山南斜面(標高1560m〜1900m)では、深山ガマズミ・オオカメノキやカエデ類の紅葉とミズナラ・ダンコウバイ・ダケカンバの黄葉とが入り混じってきれいです。

 ただ寒いので、暖かい恰好で来て下さい。ただ今は、雨で外気は10℃です。
(2012.10.18[Thu])

車山のペンション レア・メモリーの紅葉風景
 レア・メモリーの庭は、今が紅葉の真っ盛りです。ドウダンツツジ・レンゲツツジ・ハウチワカエデ・ヤマモミジ・ヤマブドウなどの紅色が美しいです。
 山菜でお世話になったコシアブラの黄葉が独特で、幾分、薄緑かかって、秋の陽射しを透して、柔らかく輝いています。
 今年は、リョウブが1本だけ、真っ赤に紅葉しています。リョウブの若葉は戦国時代から食用にされ、令法飯と呼ぶ、まぜご飯にするという話が知られていますが、美味しくありません。
 リョウブは、材質が緻密で堅く、床柱や木炭になります。また、手に入れ易いネバリのある木であるため、かんじきに使用されていました。
2012.10.14[Sun]

車山を彩る紅葉の木
車山の紅葉の木
 オオカメノキ(大亀の木)・ヤマモミジ(山紅葉)・ハウチハカエデ(羽団扇楓)・コハウチワカエデ(小羽団扇楓)コミネカエデ(小峰楓)・オオイタヤメイゲツ(大板屋名月)・ミヤマガマズミ(深山ガマズミ)・ナナカマド(七竈;10月第1週で終わります。)などがあります。

 ミズナラ(水楢)・ダケカンバ(岳樺)・ダンコウバイ(檀香梅)は、黄葉です。

 車山を彩る紅葉の木は、リョウブ(令法)・ヤマウルシ(山漆)・ヤマブドウ(山葡萄)・ヌルデ(白膠木 )など、まだまだ沢山あります。
2012.10.13[Sat]

車山と八ヶ岳の西南麓は稲刈りの時季
 茅野市役所は標高801mにあります。日本の市役所では、一番高い標高となります。ちなみに箱根山の堰止湖、芦ノ湖の水面の標高723mです。
 車山の東南麓と八ヶ岳の西麓、北山に広がる水田は、標高900〜1,100mあたりにあり、昔は冷害により、稲穂の三分の一から四分の一が青立で実らないことが、度々あったそうです。
 田植えしたばかりの頃や成長期に、水温が低いままの水を取り込むと、成長が遅くなってしまいます。
それの積み重ねで、同じ水田でも成長の度合いが違ってきて、ほとんどが黄金色になっているのに、取水口付近だけがまだ青いままと、その色合いで成長の遅れが確認できるようになります。

 通常、水田の水は、日光で温められ、その温かさが、稲の成長を助けたりもしています。
 車山周辺の白樺湖・女神湖・蓼科湖や汐などの灌漑施設により、冷たい地下水や山水が直接流入しないよう、日光で温められてから水田に引き入れられます。
(2012.10.10[Wed])

横谷渓谷の紅葉は週末あたりから、そろそろ・・・
 お客様の話によると、車山湿原の紅葉は、八島ヶ原よりも綺麗と言われます。それで、慌てて蓼科の「横谷観音」へ行ってみたのです。
 なにしろ、我が家の庭の紅葉が、綺麗なので、最早、紅葉の最盛期かと思いましたが、「横谷観音」の現在の状況から全体が美しく染まるには、後10日位は掛かるでしょうか?それから車山・白樺湖の紅葉が最盛期を迎えます。
「横谷観音」を訪れた観光客が、「今年も紅葉は駄目ね」と私に話しかけてきました。去年も、今年も信州の紅葉は見事に彩っていました。口はばったい言い方ですが、標高差の違いと、その時季を見分ける目がないとその良さは分からずじまいとなります。
 「横谷観音」へ行く途中でも、マユミの上品な薄桃色と、山桜の陽射に映える紅色と、山葡萄が木々に巻き上がり、それが染まる少し黒ずんだ赤色と、ヤマウルシがこれこそ紅葉とばかり一番早く自己主張する光景が山肌の到る所で見られ、それが運転しながら眺める一瞬毎の観賞となりました。
(2012.10.9[Tue])

霧ヶ峰高原のススキと引き馬
 霧ヶ峰の蛙原にあるグライダー練習場で、好都合にもグライダーの離陸を見る事が出来ました。凧を上げるようにワイヤーで引き上げられグライダーが、上空で切り離され、フワリと滑空し始める光景は本当に感動的です。
 引き馬は、 蛙原の霧鐘塔を眺めらがらススキ野を巡ります。一人2,000円を払って乗ります。
 5分程度の引き馬ですが、それ以上は初心者の尻が痛くなるので丁度よいぐらいのです。
 霧鐘塔は霧ヶ峰高原のシンボルとして見晴らしの良い蛙原の頂上に建ち、晴れの日にはハイキングやトレッキングの目印にもなっています。
 コバイケイソウ・ニッコウキスゲ・マツムシソウなど、季節の高山植物が緑の草原を色とりどりに染め上げる時季は去り、今では、ススキの花穂が広大な草原を、一面に覆い尽くし、富士山やアルプス、八ヶ岳連峰など、日本が誇る名峰の数々が一望されます。
(2012.10.3[Wed])

車山高原の秋、最期に咲くリンドウ
 リンドウが澄み切った秋の空の下、ひっそり咲く姿が美しい!

 群生せず、一本ずつ咲く姿から花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」といわれています。
 清少納言は、「枕草子」で
「リンドウは、枝ざしなどもむつかしいけど、こと花どものみ霜枯れたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出たる」と記しています。

 リンドウは大陸産植物の変種で、その母種の漢名が「竜胆」で、それを音読みしたリュウタンが、なまってリンドウになったという。
(2012.10.2[Tue])

車山湿原の紅葉
 今現在、外は20℃です。
 3日前に、八島ヶ原湿原に行ってきました。
丁度、草紅葉の最盛期でした。
 アサマフウロやヤナギランが真っ赤に、ヨツバヒヨドリが紅褐色に、紅葉していました。

 木々の方は、まだ早く、レンゲツツジやマユミが染まり始めたかなという感じでした。

 帰りに寄った霧ヶ峰の強清水のススキの群生は見事でした。
丁度、上空をグライダーが飛行していて、願っても無い景色となりました。
 車山湿原のレンゲツツジは、紅葉していましたが
車山の山腹から頂上に掛けては、ヤマウルシすらも紅葉していないようでした。
 レア・メモリーの裏庭では、レンゲツツジ・タラ・マユミ・ヤマブドウ・ドウダンツツジが紅葉しています。

 多分、車山の紅葉は今月の中旬頃が、見ごろになると思われます。
 今は、車山高原から霧ヶ峰一帯の、ススキの群生が素晴らしいです。
(2012.10.1[Mon])


2011年10月の日記

草紅葉の八島ヶ原湿原と宿り木
 大きなミズナラの枝の先端に、緑色のまん丸の宿り木が吊り下がっています。
 八島ヶ原から旧御射山へ向かう木道沿いです。
 八島湿原には11箇所の宿り木があるそうです。これが一番、形が整っています。草紅葉を背景に、常緑性の宿り木が幻想的です。
 冬の雪景色の時にも来ようと思っています。
(2011.10.18[Tue])
車山高原の多彩な紅葉
 今が紅葉の最盛期です。カエデ・レンゲツツジ・ヌルデの紅葉とオオカメノキや白樺の黄葉、透明な黄緑色のコシアブラの葉も秋の陽射しを透して美しい!
 ススキの尾花が銀色に揺れて、その葉先も薄い黄褐色で、高原を一面に染め上げています。
 白樺湖周辺の、桜とカエデの紅葉と、山腹の圧倒的なミズナラと白樺の黄葉が見事です。
 大門街道も桜とカエデで主体で、例年以上に迫力があります。
(2011.10.17[Mon])
車山高原の紅葉
 今が最盛期です。ビーナスライン沿いの車山が美しい!
 「言葉が空しい、秋の車山」とカメラマンが絶句するほどの景観です。多くの人々が撮影し、この大景観を撮えてきました。
 大門街道と白樺湖のカエデ・ヤマザクラの紅葉も、今が見頃です。
(2011.10.12[Wed])
八島ヶ原湿原の草紅葉
 八島ヶ原湿原の草紅葉の紅葉が始まりました。群生するススキの尾花を透してみる、八島ヶ池の輝くサファイアの碧面が美しいです。秋空の穏やかな青空に下に男女倉山・物見石・蝶々深山・車山などの車山連峰が遠望できます。蓼科山も意外なところから顔をのぞかせています。
 八島ヶ原は、薄紅色の草原です。イワノガリヤスの花穂も秋の終末を演出しています。
 車山湿原の草紅葉も始まっています。車山斜面のレンゲツツジ・ナナカマド・カエデ・オオカメノキなどの紅葉は、あと4,5日後でしょうか。
(2011.10.4[Tue])

2010年10月の日記

車山湿原の紅葉
 レンゲツツジ独特の暗紅色が湿原一帯を支配しています。見事な光景です。
マユミの葉は優しげに淡いピンク色に染まり、一目で分る美しさで光彩を放っています。
所々に群生するダケカンバ・ミズナラの黄葉が、彩りに深みを与えてくれます。
車山山頂付近はナナカマド・ヌルデ・山ブドウなどの葉で、赤く覆われます。
 足元の歩道沿いには、ハクサンフウロやミヤマニガイチゴの草が真っ赤に紅葉し、道行く人々は、その鮮やかさに度々驚かされます。
 行き交う人の顔も夕陽に映え橙(だいだい)色に輝き、喜色溢れる風情が嬉し気にみえます。
 車山湿原の西方に眺められる鷲ヶ峰と美ヶ原が印象的な光景になります。なぜか、美ヶ原の高原台地はいつも山霞上にあります。
 その東方、車山高原の裾野を覆うススキの花穂が、波打つ上空に浮かぶ濃紺の蓼科山が美しい!その左側の台地が「将軍平」です。
(2010.10.11[Mon])

八島湿原の草紅葉が今きれいです!
 八島ヶ池の浮島に自生するシツゲンヤマウルシは、他の紅葉に先駆けて、真っ赤に染まりますが、そのピークは過ぎました。今現在、ハクサンフウロウ・ ミヤマニガイチゴ(深山苦苺)の真っ赤な紅葉、マユミの淡い上品な紅桃色の紅葉、群生するレンゲツツジの暗紅色の紅葉、周囲のミズナラ・ダケカンバの黄葉など湿原ならではの草紅葉が見られます。10月上旬の今が見ごろです。
 男女倉山・車山のリンドウの青紫色の花が、秋の日射しを受けて目映い!
 一面にわたるススキの花穂も夕陽を浴びて銀色に輝き波打っています。
(2010.10.6[Wed])

レア・メモリーの裏庭にリンドウが咲き始めました
 リンドウは本州、四国、九州の原野に分布しています。高さ60cmくらいになる多年草で、直立あるいは斜上する茎の上部に、4〜5cmの青紫色の花を着けます。花は円筒状の鐘型で、先端は五裂します。
その他日本では、リンドウの基準変種で対馬に自生するトウリンドウ、本州中部以北〜北海道、千島、サハリンに分布するエゾリンドウ、中国東北部や朝鮮半島にも見られるトウオヤマリンドウ、本州中部から北海道の高山に分布し、7〜8月に開花するミヤマリンドウなど、数多く見られます。花期は8月〜10月。
 リンドウは大陸産植物の変種で、竜胆を含む漢方方剤に、竜胆瀉肝湯(りゅうたんしゃかんとう)、立効散(りっこうさん)などがあり、その苦味は強く、「まるで竜の胆(きも)のようだ」というところから「竜胆」と名づけられたといわれています。その中国名の音読みです。
2010.10.2[Sat]

2009年10月の日記

大河原峠から双子山に登り、双子池の紅葉を訪ねる
 大河原峠を起点に大きな石が露出する登山道から、緩やかな尾根筋を登っていくと、約20分で双子山の山頂に到着します。双子山山頂付近は岩が点在していますが、丈の低い笹原に覆われ、渡る風が冷たく、広々として爽やかさが満喫できます。繁茂する笹の中には、たくさんのコケモモが混在しています。
 360度のワイドな展望で、北横岳、蓼科山、前掛山が望め、東方には雲海の上に奥秩父の山々が浮かびあがります。ここからは、下りの登山道で、前方を大岳が視界を遮ります。
 双子山から30分ほど下ると、やがて双子池ヒュッテの建つ双子池に下り立ちます。雄池と雌池の2つからなる太古そのままの自然を残す美しい双子池が、静かにたたずんでいます。池の回りはコメツガやシラビソなどの針葉樹林の樹海で覆われ、ナナカマドやカエデが、鮮やかに紅葉していました。その背景は大岳です。さざ波静かな澄みきった水は、空の青と樹海の緑を映して、束の間の安らぎを与えてくれます。
(2009.10.5[Mon])
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