縦横に走る雪原の狐の足跡。野兎を食べ尽くして
野鼠を探してます。
5月下旬の頃から子狐が、側溝から可愛い仕草で
顔を覗かせます。道路に寝そべっている事も・・・
時々裏庭から前庭に駆け下りながら、カーンカーン
と甲高い声で、辺りをはばからず鳴くのです。
車山高原の狐が、一番飢える時季です???
 伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社で、稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮です。和銅4(711)年2月壬午の日に、伊侶具秦公(いろくのはたのきみ)が伊奈利山三ヶ峯(稲荷山)に三柱の神を祀ったことに始まります。稲荷山は、いわゆる“東山三十六峰”の最南端に位置する霊峰で、海抜233mです。古代から三ケ峰と呼ばれてきたように、三つの峰が西から東へと段々に高く連なり、今日の全国の稲荷信仰は、実はこの神体山信仰に始まっています。
 おそらく朝鮮半島南部に、辰韓の時代から居住していた秦氏が渡来して建立した氏神社が起源と考えられます。
 江戸に多い物として火事,伊勢屋 稲荷に犬の糞と言われていました。本来は穀物・農業の神でしたが、現在は産業全般の神として信仰されています。 収穫した稲を荷にして稲架(はさ)に架けて天日で乾燥させ、その後は食料に脱穀できるまでに至ったことの感謝を表します。稲荷を「いねに」や「いなに」と呼び、「いなり」に訛り変化しました。 稲荷神は、宇迦之御魂神(うかのみたま,倉稲魂命とも書く)などの穀物の神の総称であり、宇迦之御魂神は別名「御饌津神(みけつのかみ)」です。狐の古名の「けつ」から、御饌津神を「三狐神」と解して、狐が稲荷神の使い、あるいは眷属であるとされました。狐を稲荷神の使いとする民間信仰は、中世より始まりましたが、やがて
江戸時代前後から狐が稲荷神そのものであると誤解されるようになりました。
白樺湖から車山レアメモリー迄は車で5分
車山のリフトに近い宿予約
客室の窓から撮影、冬から春にかけて穀物を食い荒らす鼠を捕って食べたりする
古代民俗信仰の山の神は、春に山を降りて田の神となり、秋の収穫を見とどけて山に帰る。狐も春、里に降り、秋、山に戻る習性が山神信仰と結びついて、狐が神の使いと考えられるようになりました。
 狐には、人に取り憑いて害をなす悪いイメージがつきまとう。古来日本では神聖な山の神の使者ですから、妖術も人を惑わすこともしません。ところが中国の狐のイメージが入る平安時代以降、陰陽師や修験者などが狐をかたり呪術を行うようになります。そういう呪術者が人々を誑かして利を得るために、狐に陰湿で怖いイメージを与えたのです。
 狐の出産は3月頃で、仔狐の成長は極めて速く、6月には仔狐同士活発に遊びに出ます。7月には親と殆ど同じ大きさになります。8月中旬頃には、狐はバラバラになり単独で行動します。
  車山の狐の習性

 日本に生息する狐は、分類学的には食肉目イヌ科キツネ属アカギツネ(Vulpes vulpes)の亜種にあたります。 日本ではホンドギツネ(本州・四国・九州)とキタキツネ(北海道)が生息していますが、いずれもアカギツネの亜種です。車山のキツネも当然ホンドギツネです。体長45.5〜75cm・体重4〜7kg、 ただ霧ヶ峰一帯のキツネは、里山と比べて小柄です。自然環境が厳しく、食料源に乏しいからでしょう。 基本的に夜行性ですが、車山のレアメモリーの庭には、特に餌が不足がちなる春と秋、朝から痩せさらばえた姿を現します。
 時速48kmで走り、跳躍力は2mを越します。獲物を捕えたり捕食者から逃れたりするための、その強靭な足による疾走は、時速72kmに及びます。猟犬が追いつける速さではありません。成獣の体重は2.7〜6.8kg[になりますが、地域により異なり、ヨーロッパの個体は北アメリカの個体より大きくなります。冬昼間、スノーシューで蝶々深山辺りを散策していましたら、広い雪原を疾走してきて、10m先で突然止まり、こちらをチッラットと見て、去っていきました。まさに飛ぶようなイメージでした。

 今から約6500万年前北アメリカ大陸『ミアキス』という動物が、犬をはじめとする、多くの肉食哺乳類の共通の先祖として登場します。ミアキスは体長20〜30cm位の小動物で、顔も犬よりは猫に近く、胴長短足の体型で樹上生活をしていました。やがてイタチ科、クマ科、ジャコウネコ科等、ほとんどの肉食哺乳類の祖先となにます。
 その後、一部のミアキスが森林地帯から草原へと分布して草原生活に適した体に進化していき、第三紀の終わり頃、約2600万年前『トマークタス』 という動物が出現します。今のオオカミやキツネ、タヌキなどの犬属の動物達、直接の先祖であると考えられています。  
 北アメリカで生まれたイヌ科の動物は、様々な種類に分かれながら世界に拡がっていきます。現在アフリカに生息しているジャッカルも、元をたどれば北アメリカ『トマークタス』にたどりつきます。トマークタスの子孫からはやがて、現在のイヌの直接の祖先であるオオカミが生まれます。オオカミは勢力を伸ばしながら、当時陸続きであったベーリング海峡を歩いて渡り、ユーラシア大陸全域に展開します。
 森林に残ったミアキスは、その後さらに森林に適応して進化し、ネコ属の動物達の先祖となります。


 キツネは分類学的にはイヌ科に属する動物でありながら、群れることなく単独で狩りをし、吠えることなく沈黙し続けるその習性をみると、犬よりむしろ猫に近い感じがします。目は金から黄で、ネコ科の動物のように縦に裂けた瞳を持ちます。その素早さもあり、アカギツネは「猫のようなイヌ科」と形容されます。長いフサフサとした尾は、30〜56pあり、身軽な跳躍の際にバランスをとるのに役立ちます。主に薄明活動性で、夜間と黄昏時に最も活動的になります。人工照明のある区域では夜行性になりがちです。 狩りは単独が普通です。42本の強力な歯でそれらを捕らえ、1日0.5〜1kgの食物を摂取します。食べきれない獲物を獲た場合は、それを埋めます。
 「テリトリー」は50km2程と考えられています。当然、食料の豊富な場所ではより狭くなり、12km2以下にもなります。しかし車山では、その世界標準どころか、10km2以下よりも、更に大きく下回る状態です。縄張りの境界は糞と尿で付けられます。尾の真下にある臭腺の特有のにおいでマーキングした1km2の土地を、最少でも必要とするといわれています。
 大草原や低木地から森林まで生息圏は広く多様で、低緯度地域にも適し、極北にまで進出し、ツンドラ地域ではホッキョクギツネと競合しています。アカギツネの体毛の五割が下毛なので、それで耐えられるのでしょう。秋と冬には、より厚い毛皮である「冬毛」を生やし、寒冷な環境に適応し、春が始まるとこの毛皮は抜け落ち、夏場は短い「夏毛」で過ごします。その夏の換毛期に下毛が抜けるため、極度に痩せたように見えます。体色は赤錆色で腹側は白く、黒い耳の先端と足、フサフサした尾の先端の白が目立ちます。


 ロシアの研究者が、かつてキツネの人為選択による訓馳化実験を行いました。100頭あまりの狐を掛け合わせ、もっとも人間になつく個体を選択すべく混血を繰り返しました。わずか40世代で犬のようにしっぽを振り、人間になつく個体を生み出すことに成功しました。同時に、耳が丸くなるなど飼い犬の様相になったそうです。これは中国からの伝承による悪影響が及ばなかった日本の古代より、一線を画しながら、常に身近に感じ、狐を稲荷神の使いとする民間信仰が、中世より始まり、やがて江戸時代前後から狐が稲荷神そのものであると誤解されるようになったことに通じます。
 十勝平野の帯広市に近い北海道上川郡清水町では、有害鳥獣駆除捕獲報償という制度があり、住民による駆除依頼があると、鳥、狐、鹿の有償駆除を行っています。ちなみに、鹿の場合については1頭につき4,500円狐は1頭につき3,000円鳥類は1羽につき500円という形で捕獲数に乗じて報償費を支払っています。北海道では家畜の放牧地が人の居住地から離れた場所にあるため、しばしばキツネによる被害を受けるのでしょう。
 かつてヨーロッパでは他の野生動物のように、キツネは疫病の伝播者と見なされました。家禽経由のペストと関連付けられたのです。日本では、狐は鼠などの害獣の捕食によって農業を助ける利点への評価が、狐に好意的な多くの伝承を生みました。車山の住民としての経験を語れば、動物好きの私の娘が可愛がっていたアヒルが、昼間突然に消えました。すると裏庭の小高い丘に子狐が顔をだします。自分たちの油断を後悔しました。その後も我々家族の狐への親愛感に変わりはありません。
 主食は野鼠、野兎、鳥類、昆虫、そしてミミズなどでしょうが、ミカン・リンゴなど果物、御飯やパン類も食べ、雑食性は強いようです。キツネの寿命は3〜4年以上は稀で、飼育下では12年生きた記録があるので、自然界の厳しさが思いやられます。  


 アカギツネの発情期は、北半球のほぼ全域に亘る広大な生息域ですから、その環境のはなはだしい違いにも適応しますので、一概に言い切れませんが、おおむね南方では12月〜1月、中緯度では1月〜2月、北方では2月〜4月となります。メスには寒期に3週間ほどの短い発情期があり、交尾します。普段は互いの「テリトリー」を守ります。しかし、寒気の程度で時期は異なりますが、交尾期には互いの「テリトリー」を侵します。50日強の妊娠期間を経て、3〜5月に数匹を産みます。車山では6月に子狐が頻繁に、好奇心一杯といった可愛い感じで姿を現しますから、ペアリングは3月以降とおもわれます出産の平均数は5匹ですが、多い時には13匹にもなります。
 出産時は目が見えず、体重は約150gで、生後2週間で目が開き、5週間で巣穴の外へ出てきて、10週間で完全に乳離れをします。同年の秋に子狐は独り立ちして、自らの縄張りを必要とします。性成熟までの期間は10ヶ月です。 出産および初期の子育ては巣穴で行われます。巣穴は、斜面等に自分で穴を掘ることもありますが、狸・穴熊・穴兎などの使っていたものを借用し、拡張して用いることが多いようです。
 「テリトリー」には複数の巣穴があり、より大きなメインの巣穴が居住・出産・子育てに使われ、縄張り中にある小さな巣穴は、緊急用と食糧貯蔵の目的があります。しばしば一連のトンネルはメインの巣穴に繋がっています巣穴は地下1〜3m、長さ2.5〜10mで多くの出入り口を持っています。  
 キツネは以前、一夫一婦の動物と考えられていましたが、メスも放浪する事例もありますが、巣穴を持つことが常態です。巣穴に暮らす場合、メス同士複数で住むことがあります。その場合、巣穴群内では順位制が発生します。同居するメスの中で最優位のメスのみが交尾することができるのです。メスばかりの巣に入っても他とは交尾しません。  
 オスは放浪が基本で、冬の発情期だけはその「テリトリー」に執着します。狙ったメスを獲得すべく、雌の巣穴を含む、その周囲にテリトリーを確保します。その時期です。事あるごとに喚き立てるハクビシンと違い、沈黙下で行動する狐が、テリトリーを宣言し、突然甲高く「カーン、カカーン」と周囲を移動しながら鳴き続けます。狐のコミュニケーションは身体言語とさまざまな鳴き声によってなされています。「キャンキャンキャン」と3回甲高く鳴く呼ぶ声から、悲鳴を想起させるものまで、その鳴き声は非常に多様で変化に富むようです。  
 その事情が分からなかった時には、自分の子狐を懸命に探している親狐といった切迫感がありました。「激しいな!」と随分と衝撃を受けました。この時、目立つところに糞や尿によるマーキングを頻繁に行っています。オスは巣穴に残って育児に協力する場合もありますが、交尾後出て行ってしまうことも多いようです。また、この同居の雌がヘルパーとして子育てに協力をします。

 狐の子別れ
 子狐が親と変わらない大きさに成長する8月ごろから「子別れ」が始まります。以後子は分散し放浪しますが、余りに厳しい残酷な自然界の摂理が待っています。  
 約50数日の妊娠期間を経て、寒冷地の車山では5月〜6月に出産します。生まれた子狐は、両親の愛情を十二分に受けて成長します。しかし子狐が親と変わらない大きさに成長する8月頃から子別れが始まります。例外的に雌の子狐は巣穴に留まる場合があります。 前年生まれの雌による育児補助役の同居生活が知られており、子育てに母親のヘルパーとして協力する事が観察されています。狐の夫婦は、春に数匹の子供を産みます。また、夏になると親狐は、エサの取り方など生きていく術を教えます。  
 秋になると「子別れ」が始まります。愛情深かった母親が、時には両親が急に子供に襲い掛かります。最初に雄の子狐が標的にされます。それは残酷な別れでもありました。秋口に上記写真のように、深い傷を子狐に与える場合もあるのです。それほどにしなければ、子は母親の元を去らないのでしょう。何度も繰り返すうちに,子供たちは親たちのテリトリーを出て行きます。 「子別れ」の儀式は,テリトリー内の食物の減少を防ぐためですが、「子別れ」した子狐の7割方は、交通事故やエサが取れなくて死んでしまうそうです。上記写真のほどにまで、傷を負わされれば、自然界では致命的な負傷になります。

 特異な習性
 狩の際に使用する技は豊富で、例えば、草などを食んでいるウサギを発見すると、逃げ出さない程度の距離まで接近し、苦しそうに転げまわります。ウサギはその擬態に惑わされて危機感を喪失します。アカギツネは転げながら距離を詰めてゆき、突然跳躍してウサギを捕らえます。さらに、死んだふりをして、獲物の接近を待ちます。アカギツネ共通の行動らしく、その北半球生息域で広く目撃されています。
 狩り獲るときは、大きな耳を使って草むらや雪の下の野ネズミの位置を確認すると、その場から真上に跳躍して、両前足と口で野ネズミを押さえつけます。予備動作が少なく、瞬息です。
 スカンジナビアにおけるノロジカの新生児の死亡原因としてもっとも大きいのが、アカギツネによる捕食です。キツネとシカが遭遇すると、シカがキツネを攻撃します。この攻撃の90%は成功して、キツネを追い払うことができるそうです。これによりキツネに標的された新生の子鹿が守られるのです。
 キツネが狩りをするときの方法としては、一番多いのが地表面を探索するのです。キツネはモグラを好んで捕食します。 土中を掘り進むモグラを跳躍して捕殺します。 ネズミは繁殖力がありますので、主食ともいえるでしょう。次善の方法が、森の開けた場所から、すきを窺い接近する方法です。この行動は子鹿を特に狙ったものです。しかしシカの攻撃性のため、達成率は低いようです。それで、待ち伏せしながら、一瞬のすきを窺うという狩りの方法が採られます。草原でのノロジカの新生児の多くは、この方法でキツネに捕食されます。もっとも成功率が高いようです。車山の猟師に尋ねますと、イノシシもそうなのですが雌シカのお産を待って新生児を襲うそうです。さらに母シカが餌を求めて出かける際、まだ付いていけないとき、その留守に襲われるのです。日本でも鹿の繁殖による弊害が、到る所で生じています。その対策として最も有効なのが、キツネの繁殖なのではないのでしょうか? 
 ただ、山鳥、特にキジなどは、遠く長く持続的に飛べないので、キツネの持久力と俊足には敵わず、やがと捕殺されます。 山鳥が著しく減少します。